宇宙の話し
山に行き、林に入る。木々がうっそうと繁っている。
木の向こうに木があり、さらに奥の方に、左右に林が広がっている。
目の前には、木々の壁ができて、林の先のほうは見通すことができない。
ところが、夜の空には星々がまたたいているけれども、星の壁では無い。
全天、星に蔽い尽くされていない。黒い部分がいっぱいある。
即ち、宇宙が有限であることを夜空が教えてくれている。
これから先はなんとなくの感想なのだけれど、
宇宙がひとつだけ、というのはあり得ることだろうか?
ひとつあるなら、もうひとつあってもおかしくないような気がするのだ。
50個も、100個も、それこそ無限の宇宙があって良さそうなものだ。
ぶどうの房は、ひとつだけより数十個固まってこそぶどうらしい。
きっと宇宙もそうだろう。
親宇宙があり、子どもの宇宙があり、孫の宇宙もある。
大きい宇宙もあれば、小さくってかわいい宇宙もあるに違いない。
植物人間状態が、人と呼ぶのに残念ながらふさわしくない。
それは、意識の有無だろうと思うのだけれど、
思念というものが、宇宙のどこかからか、
この宇宙の、この太陽系の、この地球の、この日本の、この私に宿った。
この奇跡に感謝したい。
あらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がりは、
この私の思念のなかにもある。この相対性こそ、思念の故郷を示している。
なんとなく、そんな気がする。
その世界も、きっと黄金比の世界なのかなあと。。。
奇跡に気付く「インプリント」が、人の思念の中にあるのだ。
欲望ばかりの世界にいてはいけない。そうササヤイテイル。
記:とらのこども
by toranokodomo | 2014-02-16 21:32 | コラム