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再掲:「悲しい気持ち」

仏教で言う「悲」とは、サンスクリット語で「カルナー」と言い、
ため息、うめき声のことです。

他人の痛みが自分の痛みのように感じられるのに、その人の痛みを
自分の力でどうしても癒すことができない、代わることができない。

そのことが辛くて、思わず身体の奥底から「ああっ。。。」という
呻き(うめき)を発する。その呻き声が「カルナー」です。

中国人は、それを「悲」と訳したんですね。


遠藤周作さんは、こう言っています。

「病気の人、悩みを持っている人の心の痛みや苦しみは、
それは他人に伝わらない。そして、この痛みは自分だけが感じて
いるんだと思ったとき、二倍も三倍にも大きくなっていくのだ」

孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできません。
そういうときにどうすればいいのか。。。

そばに行って、無言でいるだけでいいんじゃないでしょうか。
その人の手に、手のひらを重ねて涙をこぼす。

深いため息も、呻き声も、熱伝導の法則のように、
手の温もりとともに、閉ざされた悲しさや痛みが伝わっていく。

それしかできないし、それだけでいい。

いつかどうしようもなく悲しくなった時、もしそうしてくれる
人がいたならば、僕はしがみついて泣くだろうと思う。

今のこんな世の中だから、そういう宗教の復活に期待している
とらのこどもです。

誰かのために泣く。泣き続ける。
それはそれで、美しい世界のような気がするのです。

(以上の要旨は、五木寛之さん「他力」より)

記:とらのこども
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by toranokodomo | 2014-06-21 20:42 | 宗教関係  

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