デートはホタルの舞い飛ぶ夜に

メンソールの煙草に火をつけて



眉のあたりに細い指を遊ばせながら



あなたはさらりと言ったのです



「私、結婚するわ…」



おお、S嬢よ なんたる不覚



いったいどんな男が



そんな危険なワナへと あなたを誘いこんだというのだろう



長い髪をきりきり結び ひたすら前を向いての仕事一途



高いヒールをカツカツ響かせ 我が店に現れては



「ドライマティーニ!」 



あなどりがたい 凛々しい飲みっぷりでありました





女一匹、孤軍奮闘 男社会ゆえの理不尽も セクハラまがいの屈辱にも



油断のならないその可愛い笑顔で しなやかに乗り越えてきたはずのS嬢よ



「私、女だからって甘えるのは大嫌い、ズバリ仕事でまともに評価されたいのよ」



寄ってくる男どもを つぎつぎと蹴散らして



あるいは あっさり肩空かし 



仕事とお酒に 女の一生を捧げるものとばかり思っていました



まったく 潔いというべきか



これまで積み上げてきた仕事の実績も 会社でのポジションも



それなりの収入 気楽な独身生活にさえ はらりと



鮮やかに身をひるがしての 祝結婚! いや、お見事でした





あれから2年 どうしているかと思っていたら



ひょっこり現れたのです つい先日



狭い店の入り口で なにやらガタピシ音がする



「もう、この店、ベビーカーぐらいスラスラ入るようにしてよね」



なつかしいあなたの声 汗まみれになりながら叫んでいるではありませんか





「お久しぶりです Sさん おや、子どもが出来たの?」



「うん、産んじゃったわよ、女の子、意外とあっさり出来るものね、結構痛かったけど、


産んでみればこれがまた、可愛いのよ…」



などと 変わらぬ口調でおっしゃるのです





長かった髪は ぱちっとしたショートカット



穏やかな瞳が 少しさがった目じりで柔らかく光っています



「久しぶりに、マティーニ飲みたいなぁ…」



たくましくなった彼女の腕のなか 一歳になったばかりの赤ん坊が



ジンの香りに酔ったのか けだるそうな小さなあくび





「いや、すっかり、お母さんですね」



「あら、そうかしら…」



小首をかしげ まんざらでもない 幸福そうな笑顔をうかべるのです





私ね この子が生まれてくる日に つくづく思ったことがあるの 



陣痛が襲って来て それこそ背骨が折れるかと 本気で思うほど痛いのよ



恥も外聞もなく 股を開げてうなり声をあげながら



どうして私はニワトリじゃないの そしたら



可愛くポコリと この子を卵で産んであげるのに…





でもね 彼女が外の世界にはじめて出てきた時に



羊水まみれで ぐしゃぐしゃで まだへその緒をくっつけたまんま



「ほら、女の子ですよ…」と



私の胸にそっと抱かせてくれたのよ 





信じられないくらい小さくて 柔らかくて そして温かくて



顔を真っ赤にして泣き声を上げたわ



「ほら、生まれてきたよ、生きてるよ!」



そんなふうに聞こえたの





私今まで 学校の勉強や 会社の仕事なんかを



それなりにがんばってきたつもりだったけど



一度だって心から満足できたり 人に誇れることなんてなかった



会社の上司に 同僚に まわりの男たちにただ認めてもらいたくて



眉つり上げて 仕事に没頭してたわ 



男なんぞに負けるものか 今に見ていろ アッパレ勝ってみせてやる



ひとの2倍3倍働いて 売り上げ 収益 実績 数字ばかりを追っかけていた





でも結局 今ふり返って考えるとね



この子を産んだことだけが 私の上出来のお仕事だった気がするの



できたての ほやほやの生命が この胸に小さく息づいている



これからいろんなことで 泣いたり、笑ったり、そして恋したり



すっころんで血を流し、髪ふり乱して怒ったり



きっと私と同じように ジタバタしながら生きていく



そんなひとりの女を 私はこの世に確かに産み落としたんだとね





マティーニ サイドカー ホワイトレディー カクテルグラスを次々と代えながら



相変わらずの飲みっぷり



「変わりませんね、Sさん…」



「あら、変わったわよ、私、少しは大人の女になったんだから」



「いえいえ、相変わらずお強いです、お酒が…」



「そうかしら…」



ほんのり酔った視線の先が 思わぬ鋭さで私をとらえたのです



赤ん坊はすやすやの夢の中



この子もいつか 自分の足ですたすたと歩き始めるわ



後ろで はらはらしている親のことなんて まるで気にもとめないでね



若いころの私が 何でもさっさと自分で決めて



痛みのかけらも感じなかったように



彼女も 前だけを見て どこかへ駆け去っていく日がきっとくる



その時 子育てを終えた私が 年齢を重ねた私が



疲れはてて しぼんでしまったり



いつの間にか感性の動脈硬化 常識や社会性まで老化させて



自分が失ったものさえ気づかず 空虚で騒がしいお喋りばかりの毎日 



そんな 醜いアヒルのおばさんになったりするのは



絶対にいやなの!





「だから、これからが本当の私の人生だと思うの…」



きっぱりとカクテルを飲み干して 彼女はグラスを置きました



この子の絵本は私が読んであげられる オッパイは私の胸にある 



でも私への絵本は誰も読んでくれないわ



本当の意味での 大人の いい女になるための絵本 それは



自分で探し出して 自分の声で読まなくてはいけないのよ



メディアや雑誌が創り上げた 誰かのモノマネではなくてね





「Sよ、しっかりしなさい 娘といっしょにヨダレたらして昼寝してる場合じゃない」



しっかり目をあけて 今、生きている時代と自分を見つめなければ



彼女の意気ごみにびっくりしたのか 



腕の中の赤ん坊が大声で泣き出し



ついでに 彼女のケイタイまでもが鳴きだした



「あらら、ごめんね、よしよし泣くんじゃないわよ…」



「もしもし、あら、もう着いたの?」



なんとも忙しく 赤ん坊とケイタイを両手に抱えて話しかけてる



「マスター、行くわ…」



「そうですか、ダーリンのお迎えですか…」



ハリケーンが吹き過ぎていくようなあわただしさ





「そう、彼がデートに誘ってくれたのよ」



彼女ははずむ笑顔で ウインクひとつを私によこしました



「明日から彼ね、育児休暇なのよ、しばらくはオレが子どもの面倒を見てやる、


だからお前は自分の好きな勉強をしろよ、と言ってくれたの」



「それで私は、もう一度英語の勉強のやり直し、いつかはもう一度仕事を始めるつもりだし、


その時役立つかどうかわからないけど、自分への絵本探しを始めるわ」





ベビーカーを颯爽と押しながら 彼女は私に手をふった



「親子三人で、これからホタルを見に行くのよ、


舞い飛ぶホタルを見ながらね、明日から始まる彼の育児生活のお祝いよ」





私の大切な親友、M様へ



作:茨木のり子 「
デートはホタルの舞い飛ぶ夜に」より


 






 


  とらのこどものお勧めです。すっごく素敵な詩がいっぱいです。


  残念ながら亡くなられましたが、彼女の詩のこころは読み継がれています。




 


  若い方は、茨木のりこさん自体、お名前も知らない人が多いかなと思って


  ご紹介しました。心に響いた方があればさいわいです。




 


  ぜひ、茨木のりこさんの詩集をお求めください。


  あなたのこころに、きっと多くを伝えてくれることでしょう。


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by toranokodomo | 2014-01-09 23:03 | 詩歌のようなもの  

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