「ひとりぼっち」

Web良覚寺2003年7月の「今月の言葉」は


孤独は山にはなく街にある

一人の人間にあるのではなく

大勢の人間の〝間〟にあるのだ

でした。




 一人暮らしの人は確かに寂しい。けれども大勢家族がいるのにその家族とつながっていない、一緒に暮らしていながら、一緒に暮らす人たちと会話がない。こっちの方が寂しいでしょう?。


 


 源信(げんしん)和尚の言われる「帰る処なく無同伴」というのは、何も本当に帰る場所がないという意味だけじゃないんでしょうね。身体は帰る場所があるのに、心はその場所が本当に帰る場所となっていないというか。これは本当の地獄でしょう?。「おーい」と呼んでも、そこに人がいるのに誰も応えてくれない世界…。こんな恐い世界は他にはありません。


 


 逆に言えば、私たちは地獄に堕ちたくないと願いっているわけですよ。自分の帰る場所、自分が無条件に受け入れられる場所を求めているんです。


 


我、今、帰る処なく、孤独にして、無同伴なり


 


じぶんがそうなりたくはないし、


できるなら、そうなりそうな人に手をさしのべる自分でありたい。


 


ひとりぼっちは、「独り法師」。ひとりきりで修業している僧の姿。


その姿に、いいしれず孤独の悲しさを見るのでしょうが、


 


本当のさみしさは、家族とあってなおひとりきり。


仲間とともに何かをしているのに誰もこっちを向いてくれない。


 


そういうことなのかと気づいて、


帰る場所があり、連れ合いがあり、子どもがあり、兄弟があり、


山の友だちや、ゴルフの友だちや、飲み友だちのありがたさを


 


しみじみ思うのであります。


おかげさまで生かされている。ああ、ありがたい。。。


 


記:とらのこども


 


 


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by toranokodomo | 2013-12-23 11:29 | 宗教関係  

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