書評 : 『歴史小説の罠 司馬遼太郎、半藤一利、村上春樹』

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 あの胡散臭い司馬史観の毒にそまった村上春樹よ

  一刻も早く司馬史観の呪縛から脱却せよ、さもなくば。。。


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福井雄三『歴史小説の罠 司馬遼太郎、半藤一利、村上春樹』(総和社)

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 日清、日露の戦いはよかったが、あの「太平洋戦争」は愚かだった。

 乃木将軍は愚将、殉死は無駄死にだ。

 徳川慶喜と勝海舟が日本を救った等々。

 後世の浅智恵によって数々の暴言を吐いて歴史をこねくり回した司馬遼太郎は、なぜかいまも広く読まれている。左翼が壊滅せず、朝日新聞がまだしぶとく生き残っていることと同じかも知れない。

 司馬遼太郎は戦後精神史の空白にそっと入り込んで有害な思想をまき散らして悪影響をいまも若い世代にあたえている。読者が左翼だけでないことが、保守論壇においても、司馬批判を複雑なものとしてきた。谷沢栄一などは司馬を褒めちぎっていた。

 司馬史観の根幹にあるのは自分だけの狭量な思いこみである。




 福井氏は簡潔にこういう。

 「視点が限定されてしまっていて、世界史的な座標軸の視座から、客観的に(歴史を)眺める姿勢が欠落しているのだ。小さなコップの中で水が波たち騒ぐように、彼の思考回路は」(中略)「空回りしている」。




 そして次のように付け加えられる。




 「もう一つの特徴は、結果を前提とした、逆立ちした歴史認識の傾向が強い」。それゆえに「昭和の日本イコール悪玉、という図式で固定してしまっている」




 こうして司馬の奔放すぎて出鱈目がまかり通るわけだが、いまの日本の出版界において、まだ売れ続ける作家への批判はタブーであり、朝日新聞はともかくとしても、産経新聞や文藝春秋でも司馬批判がなぜかタブーに近いのである。わずかに中央公論が司馬批判をのせたことがあるが、それも一、二回でおしまいとなった。いま自由自在の司馬史観批評は「WILL」など僅かのメディアしかなされない。




そればかりではない。司馬の残滓が幽霊の如く、亜流をうみ、その毒はまだ日本の文壇を覆っている。その典型が半藤一利とムラカミハルキである。とくに文春は半藤や立花隆など亜流の歴史家を頻繁に用いはじめてから部数が激減しているが、この先どうするのか。




 生前すでに司馬への痛罵は多くあった。




 吉川英治は「ペダンチックなわざとらしい『学識』が鼻持ちならない。奇想なロマンでいくならそれでよし。だがこの作者(司馬)の場合、これみよがしの考証・引用が学者じみて邪魔である」。

 小島政二郎は「司馬遼太郎が、大きな嘘のうまいことは、吉川英治などはるかに及ばない」




 福田恒存も司馬の胡散臭い歴史観を鋭く揶揄したが、三島由紀夫ともなると、「乱世史観」などあり得ないとして、司馬をまったく相手にしなかった。




 評者(宮崎)に言わしめれば、司馬遼太郎とは「悪質な歴史の講釈師」である。



 さて司馬遼太郎批判を既に二冊、詳細な批評を上梓された福井雄三・東京国際大学教授、この新著もいたるところで的確な批判を展開されている。




 徳川慶喜が英雄の列にはいるのは許せないし、勝海舟とは「胡散臭い」という福井教授の総括に賛成である。




徳川慶喜の優柔不断が日本を分裂させ奥羽列藩同盟の悲劇を産んだ。会津の物語がNHK大河ドラマとなって名誉回復されるまでに150年の歳月が流れた。




徳川の本拠地、岡崎の大樹寺には徳川歴代の位牌が置かれているが、徳川慶喜だけは「行方不明」という名目で台座しかない。そうだ。それが徳川宗家の慶喜への評価である。ところが司馬は慶喜を高く誉めあげた。




ともかく司馬批判を通して日本の近現代を総括できる副作用もあり、本書は有益である。


 


 あの胡散臭い司馬史観の毒にそまった村上春樹よ

  一刻も早く司馬史観の呪縛から脱却せよ、さもなくば。。。


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by toranokodomo | 2013-12-20 07:14 | 本の話し  

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