「父親の働く姿」
ある人は、「男」という文字に目をさらしてみよ!という。
田に力を入れているではないかと。
「田」という字は、田畑だけではなくって、
一切の生産、大地の豊穣すべてを指しているのだとか。
文字の本によれば、「田」は生むもの。
そういう原意があるそうだ。
黒々とした大地に、照りつける太陽の光りを浴びながら、
黙々と汗びっしょりになって働く姿が連想されます。
男とは、こうして思う存分働けることが自己の満足だ。
男は労働に、純粋に無償の心で立ち向かうものですね。
「逸は労より出て、楽は憂より生ず」の気構えで、
大地に鍬を打ち込む。
そして、その父の労働と労苦こそが、
妻の喜びであり子供の喜びであると、父は信じています。
父親の「働く姿」に子供は何を学ぶか。
労働=不在。
この事実の重みだけで、子供は奮い立つのだと、
自信を持っていいと信じています。
以上は、「高瀬広居著:父親の責任について」より
記:とらのこども
by toranokodomo | 2012-04-09 07:32 | 指定なし