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「水と太陽が、まぶしい季節」

「水と太陽が、まぶしい季節」

2014/02/26 07:13

 

水がまぶしいのは、君がいるから。

 

太陽が光り輝くのも、君がいるから。

 

人生がうれしさいっぱいなのも、君がいるから。

 

それから、25年がたった。

 

ときどき思い出し、大切にせんないかんなあと

 

思う。(あんたもそう、思うてくれてますか?)

 


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by toranokodomo | 2014-02-26 20:48  

素朴な疑問  キスって。。。

ふと思った素朴な疑問。
どこまで友だちで、どこから恋人になるんだろう?

キスを一度すれば、恋人か?
それは違うような気がする。一度したところで、恋人じゃないって言われそう。

気持ちと行為が同時進行でリンクしてればいいんだろうけど、
がっちり固定されている自動車のタイヤでさえ、内輪差があるように、

男性と女性には時間差がすっごくある。
男性自身、女性自身にも、時間差があると思う。

例えば、行為先行の場合、
初めてのキス。2回目、3回目のキス。もっともっとたくさんのキス。

A,B,Cっていう行為の隠語が、昔々の高校生にはあったが、
Bに行っても、Cに行っても、恋人かどうか。

そもそも恋人ってなにか、友だちってなにか。。。
そこから考え直さないと、気持ちも、行為も、意味があるようなないような。

行為はあっても親しくない恋人よりも、しっかり親しい気持ちのある友だちは、
男女問わずほんと値打ちがある。

そう思う今日、この頃である。
記:とらのこども:
http://plaza.rakuten.co.jp/toranokodomo/


  PS とはいえ、キスはしたい。

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by toranokodomo | 2014-02-25 20:17 | 恋愛、女性  

「悪いことはできない」

ばれない!と思っても、悪いことはできない。

見られてないと思っても、必ず見られている。
気づかれないと思っても、必ず気づかれる。

障子に穴あり。壁に耳あり。

さらに、ご先祖様も見ているし、神様、仏様も見ている。

なにより、自分が見ている。
自分というのは恐いもので、自分なのに自分でない自分がいる。

だから、悪いことはできない。
さわやかな、ほがらかな、正義のある自分でいるべきなのだ。

であればこそ、大きい力がちゃあんと出るのだ。
それは、自分のためだけではないからだ。

記:とらのこども

 

墓参りに行って、手を合わせて、

「がんばってます!」と報告したいものですね。


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by toranokodomo | 2014-02-24 20:31 | コラム  

「青は藍より出でて藍より青し」

「青は藍より出でて藍より青し」

2014/02/23 19:15

 

生足はスカートより出でて、出ないよりなまめかし。

 

大空を自由に駆けた、久米仙人(くめせんにん)でさえも、

吉野川でで衣を洗う女の白い脛(はぎ)に目がくらんで墜落。

その女を妻として世俗に帰った。

 

ましてや、凡俗のわれわれなどは、、、言うべきにもあらず。

生足はかくしておけよ、凡俗のおとこのために。

 

ああ、男というのは悲しい存在だ。。。

解脱して、サンタに再就職でもしたいものだ。(冗談です。)

 

記:とらのこども

 

 

 

PHOTO:画像ランキングより

http://tumblrport.com/jp/articlelist.php?format=photo&mode=rank


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by toranokodomo | 2014-02-23 19:16  

「韓国への旅」

韓国の旅

韓国での旅は、気付きの旅である。
普段、忘れていたいろいろなことに気付くことが多い気がする。

父母ではなくとも、ご先祖様を遡り、10代、20代、
そして50代もの時を遡れば、韓国の地は祖先地のひとつで
ある日本人がほぼ100%ではないか?

いわゆるルーツである。

ところで、自分の行動様式、思考様式とは、気付かぬうちに、
あらゆるサブルーチンプログラムで自動化されているものだ。

全く文化の違う地でなく、似ていることの多くある韓国だから
そのプログラムの違いに気が付く。

わたしの興味のある対象は、人そのもの。
「こころ」にこそ非常な興味がある。誰かの琴線を鳴らしたい。

楽器に演奏法があるように、誰かの心の琴線に触れるのにも
決まった手順があるようだ。そこに国境はない。

こどもと仲良くなれる人、動物と仲良くなれる人は、
外国の人と会話ができなくても、きっと大丈夫。仲良くなれる。

目をやって、気をやって、隠れたり、笑ったり、おどけたり、
言葉の必要ない気持ちのやり取りが可能だ。国境なぞない。

さてさて、本題の韓国の旅。

そこでは困ったことがあればあるほど、困難があればあるほど、
韓国の素敵な琴線に触れることになる。

流れる水のように過ぎ去ってはいけない。
淀む水のように、お土産物屋でじっと商品を眺めてみると良い。

食事するときもローカルの食堂でひとり寂しく食べるといいのだ。
なぜかしら、誰かが話しかけてくる。

お前は日本人か?、私の叔母が日本に住んでいる。
子どものときには、素敵なお土産をいっぱいもらって可愛がって
もらったものだ。。。などと、自分語りをする人が現れる。

時間の許す限り、その人の話しを聞く。
最後には、別れを惜しむ一会となる。名残りを惜しみつ別れる。

旅をしながら、出会い、別れを繰り返す。

それは、他人と出会っているようでいて、自分自身との出会い、
別れのような気がする。わたしはそう思うのだ。

彼は、彼女は、もしかして「わたし」なのだとの錯覚がたのしい。
そして最後に、元の場所、元の自分に還る。

記:とらのこども



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by toranokodomo | 2014-02-23 15:30  

大切なモノ、大切な人

どうしても、どうしても、どうしても大切なもの、
どうしても、どうしても、大切な人ってのは、

本当はひとつだけでしょう。


それが自分であるうちは、利己的になる可能性があるけれど、
それが他人になったときに、神仏に近づく。

自分を犠牲にできる人ほど、無敵な人はいないから。

どうしても、どうしても、大切なもの。
どうしても、どうしても、大切な人を持っている人は、
光り輝いています。

記:とらのこども



記:とらのこども


 


 


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by toranokodomo | 2014-02-23 09:21 | コラム  

「~子ちゃんへの願い」

かつては、「○○子」という名前が世間にあふれていました。

が、テレビで女の子の人気の名前TOP10に、最近10年

ランクインしていないとのこと。



そうか~。そうなんだって今さらながら、再認識しました。



そのテレビでは、なかなか良いことを言っていました。

それは、「○○子という名前に込められた願い」というもの。





あるとき、明子ちゃんという子が

「自分の子のつく名前が嫌い!」と言っていた。




そこで、それを聞いたおばあちゃんがこう言ってくれた。



明子ちゃん。○○子って名前はね、

子という漢字は「一」と、「了」からできてるでしょ。



「一」は初め、「了」は終わり。



だから、明子が一生、ずっと明るい子でありますように

という、そういう願いが込められているの。



だから、とってもいい名前なんだよ。。。と。



明子なら、生涯、明るく過ごせますように、

栄子なら、生涯、栄えますように。



そういうご両親の願いなんだと。



この話し。おばあちゃんの理屈、おばあちゃんの優しさで

こういう話しをしてくれた。



本当かどうかは私はわかりませんが、そういう周囲の愛の

かたちが名前にもあり、子どもたちへ注がれていることは

間違いない。



こどもらを大切に、大切に思っている気持ちから生まれた

この話し。皆さんはどうお感じになったでしょう。



○○子ちゃん、いい人生を!!



記:とらのこども


 


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by toranokodomo | 2014-02-22 18:00 | コラム  

光りあれ!!


仏教では、「無明」がもろもろの迷いのもとというそうだ。

希望という光りを見失ったときは本当につらい。

どうしていいかわからない。

 

自分が、自分が、という心が無明へと突き落とすと思う。

自分はどうなってもいい。だれかの為に役に立ちたい。

そういう心が、光をともすのだと思う。

 

光りあれ!!

 

それは、目の前の、自分のとなりの人への慈しみから

はじまるものだと思います。ゴミだしはりっぱな行。

愛はこころではなく、具体的行為なんだ。

 

できることをする。それで生きていける。

だからわたしの灯台は、山の神さん。合掌。。。

 

記:とらのこども

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by toranokodomo | 2014-02-22 08:59 | 宗教関係  

「君に似合うもの」

「君に似合うもの」

2014/02/17 21:18

 

君に似合うもの。。。

それを真剣に考える、バレンタイン過ぎた2月という季節。

 

知っているようでいて、ぜんぜんわかんない。

そういう男性が多いんじゃないでしょうか。私もそうだった。

 

素直な気持ちで、

 

何が好きなの?、何が似合うの?、教えて欲しいって、

聞くのが、きっと一番いいんあだろうなって、

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今になって、そう思うよ。



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by toranokodomo | 2014-02-17 21:22 | 写真  

宇宙の話し

山に行き、林に入る。木々がうっそうと繁っている。
木の向こうに木があり、さらに奥の方に、左右に林が広がっている。
目の前には、木々の壁ができて、林の先のほうは見通すことができない。

ところが、夜の空には星々がまたたいているけれども、星の壁では無い。
全天、星に蔽い尽くされていない。黒い部分がいっぱいある。
即ち、宇宙が有限であることを夜空が教えてくれている。


これから先はなんとなくの感想なのだけれど、
宇宙がひとつだけ、というのはあり得ることだろうか?

ひとつあるなら、もうひとつあってもおかしくないような気がするのだ。
50個も、100個も、それこそ無限の宇宙があって良さそうなものだ。

ぶどうの房は、ひとつだけより数十個固まってこそぶどうらしい。
きっと宇宙もそうだろう。

親宇宙があり、子どもの宇宙があり、孫の宇宙もある。
大きい宇宙もあれば、小さくってかわいい宇宙もあるに違いない。

植物人間状態が、人と呼ぶのに残念ながらふさわしくない。
それは、意識の有無だろうと思うのだけれど、

思念というものが、宇宙のどこかからか、
この宇宙の、この太陽系の、この地球の、この日本の、この私に宿った。

この奇跡に感謝したい。


あらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がりは、
この私の思念のなかにもある。この相対性こそ、思念の故郷を示している。

なんとなく、そんな気がする。
その世界も、きっと黄金比の世界なのかなあと。。。

奇跡に気付く「インプリント」が、人の思念の中にあるのだ。
欲望ばかりの世界にいてはいけない。そうササヤイテイル。

記:とらのこども


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by toranokodomo | 2014-02-16 21:32 | コラム