<   2013年 10月 ( 51 )   > この月の画像一覧

 

エッセイ:小さなけんちゃん

作家 林真理子さんの長年のファンで、小説も読むのですが、

いろいろな雑誌に掲載のエッセイがいいんですね。



なんとも、好きな文章なんです。この頃、温かく円くなってきた。

ファンサイト:http://hayashimariko.web.fc2.com/book/58.html



それで、彼女を含め気に入りのエッセイ等をスクラップしてます。

雑誌、新聞などをビリビリと破って、服のポケットや、ノートの

ポケットに入れるだけ。



なかで最近のもので、「小さなけんちゃん」というのがあります。

短かいものなので、ご紹介したいと思います。(agora誌より)







けんちゃんがわが家にはじめてやってきたのはたった二歳、お誕生日が

過ぎたときだった。すでに、「お泊り」で馴染んでいる小学生三年生の

とも君、五歳のゆうちゃんのお兄ちゃんたちに挟まれてやってきたけん

ちゃんの手には、着替えが入った、大きなデパートの紙袋がしっかりと

握られていた。



お兄ちゃんたちにしても、着替え勉強道具入りの紙袋だけど、赤ちゃん

を脱したばかりの、背丈だってテーブルの下へすっぽり入りそうに小さ

な子が紙袋をぶら提げる姿には、憐憫を覚えないわけにはいかず、袋の

底を引きずりながら部屋に入ってきた。



そのいたいけなさ、そのことだけで私の胸は痛んだ。

いまの時代、わが子が外にお泊りするといったら、親たちはカバンなり

リュックなりを用意してやるだろう。だが、そうしてもらえない事情を、

けんちゃんは背負っている。



けんちゃんたちは、児童保護施設で暮らす子どもたちである。



交通事故とかで親を亡くしたとか、親が養育放棄したとか、さまざまな

理由で保護されたのだ。家庭と言う者を知らずに育つので、自分が結婚

して家庭を持った際に途方に暮れて、ギブアップ。子がさずかっても、

育て方がわからず施設に送るというケースもある。



こうした悪循環を防ごう、家庭を学ぶ機会をあたえようという制度が、

私の住む地域での「三日里親」。学校の長期休暇の時期に子どもたちを

二週間ほど、応募の中から認可した里親家庭へ預け、普通の家庭生活の

ありようを体験させるのだ。



とも君たちはわが家に来るようになって三年目なので勝手知ったるもの、

私を「おかあさん」とわだかまりなく呼び、台所に立つ私の傍らで魚を

捌くところをじっと見る。彼らは決して部屋中を飛び回ったりしない。



お行儀の良さは、わが息子以上である。小さいけんちゃんはお兄ちゃん

たちの後ろにくっついていたが、二日もすれば、私にべったりの腰ぎん

ちゃく。近所の八百屋さん、肉屋さんへの買い物も全員がついてきて、

けんちゃんは私に負ぶわれて帰る。



ある夜のことだ。「家族全員一部屋で、いっしょくたに寝よう」という

相談がまとまり、和室に布団を敷き、合宿状態で就寝した。

私の布団にはけんちゃんがいて、眠りにつくかどうかというときだった。



向こう向きに寝るけんちゃんが、どういうことか、小さな手で壁をひっ

かいているのだ。「どうしたの」と聞いても返事がない。顔を覗くと

何かを我慢するように口元をぎゅっと結ぶ。



その頬に赤みがさしている。驚いておでこに手を当てると熱い。



急ぎ体温計で熱を測ると三十八度。たいがいの二歳ならぐずるところだが、

けんちゃんは泣きもせず、黙って我慢した。きっと我慢の限界がきたので、

でも私は本当の母ではないと二歳にして承知しているから、壁に助けを

求めたのだ。



応急手当に小児用熱さまし、そして久方ぶりに忘れずに仕舞っておいた氷

まくらを取り出した。少しゴムの臭いのする口に製氷室の氷を入れながら、

私はなんだか無性に悲しくて、涙がこぼれてしかたなかった。







  林真理子さんの温かさが、文章からほのかにかおり立ちます。

  そんな気がします。私も涙がこぼれてしかたがなかった。

  プロの文章というのは凄い。さらりとして本物に見える。



  記:とらのこども
entryBottom


[PR]

by toranokodomo | 2013-10-31 17:17 | コラム  

山ガールファッション!

山へ行くと出会う、たくさんの老若男女登山客たち。


はーはー、ふーふーと息を吐きながら懸命に登る。


 


頂上には、それはさわやかな皆さんが集います。


みんな、ホントいい顔してますー。


 


わたしも、そうだといいなあと思いつつ、


遠くを眺めます。眼下には大阪平野が一望されて


 


大阪湾も、淡路島も、明石海峡大橋も見えます。


しぜん、自分が大きくなった気がします!!


 


記:とらのこども


 


b0314227_215185.jpg


 


b0314227_215185.jpg


 


b0314227_2151832.jpg


 


b0314227_2151865.jpg


 


b0314227_2151891.jpg


 


写真は、「山ガールネット」より。すごい参考になります。


http://www.yamagirl.net/


[PR]

by toranokodomo | 2013-10-31 07:03 | 写真  

冬の前、秋の滝は清冽!!

秋ゆえに、山へ登りたくなって、


10月の山行きは計5回。久々に登ったあという感じです。


 


日本の山への山登りの道は、たくさんあります。


石段続く参道もあれば、丸太階段が続く道もあります。


 


木々のなかを抜けていく杣人(そまびと)の道もあれば、


見晴らしのいい尾根道もあります。


 


わたしが好きなのは、檜林(ひのきばやし)を抜ける道と、


川とともに下る沢筋の道です。


 


とくに、雨のあがった後の沢には、水量豊かな滝があり、


しばし見とれてしまいます。


 


無言、荘厳、清冽!!


 


でもでも、じゅうぶん足元には気を付けてくださいね。


すべって、ころんで、おおいた県になりますから~。


 


記:とらのこども


 


 


b0314227_2151797.jpg


 


 


PHOTO:画像ランキングより


http://tumblrport.com/jp/articlelist.php?format=photo&mode=rank


[PR]

by toranokodomo | 2013-10-30 07:20 | 写真  

「秋愁・心をふるわす季節」

祈りの力が世界を変えると思うとらのこどもです。

みんなが願えば、思い願う未来は現実になります。



ただし、それを現実にできる人、できない人。

現実にできる国、できない国はあります。



その中にあって日本には不可能はないと思います。

日本でできなければ、地球では為しえないとさえ

思います。



そのくらい、日本には可能性があふれているんだ。

そう信じています。



世界を変える、「
人類の祈り」のような日本であって

欲しいと思います。



日本だけを考えているのなら、ダメになるんだと

思います。日本には責任があり、能力があります。



正義の力は、日本をかならず後押ししてくれます。

邪悪なものを排除して、強い日本に期待します。



記:とらのこども


 


 


[PR]

by toranokodomo | 2013-10-27 21:02 | 詩歌のようなもの  

豊穣の秋に大挑戦!!

実りの秋、食欲の秋、豊穣の秋。


冬がくるその前に、食べて食べてというのが自然だと思います。


 


いくら食べてもおいしいように、


 


スポーツの秋でもあることを忘れないで、


ウォーキング、サイクリング、ハイキングにも繰り出しましょう。


 


家族でお出かけして、友達みんなでお出かけして、


おいいしいものを山のように食べるのが正解だと思います。


 


飲んで食べた後は、温泉にゆっくり。。。


ああ、、、これぞ、至福の休日ライフ!!!


 


この「至福の休日ライフ」は、すこし手を伸ばせば届きます。


ぜひご家族で、秋のプチ旅行計画を!!


 


記:とらのこども


 


 


b0314227_2151774.jpg


 


 


[PR]

by toranokodomo | 2013-10-27 18:23 | ご馳走、食事、グルメ  

歴史散歩 「石油の世紀と、日本の石油」

宮崎正弘の国際ニュースより:http://www.melma.com/backnumber_45206_4696658/



山下喜斎と石油に関することです。これは、以前宮崎正弘氏のメルマガの読者の声に「ST生、神奈川」氏が江戸時代の日本での石油利用に関して書かれたことがありました。

その内容に補足して以下に記します。



(1)日本書紀に天智7年(西暦668年)新潟地方から「燃ゆる水」「燃ゆる土」が朝廷に献上されたとあります。この「燃ゆる水」は石油、「燃ゆる土」は天然アスファルトのことだと推定されています。おそらく英語でいうseep oilという掘らなくても地面から湧き出て、水溜りにアスファルト状のものとともに原油が溜まっているところが新潟にあったのでしょう。これを江戸時代には「くそうず」つまり臭い水とよんでいました。



(2)慶長13年(1608年)には、越後柄目木村(現在の新潟市秋葉区内)の真柄仁兵衛貞賢という人物が、油田を発見し、慶長18年(1613年)には蘭引(らんびき)で灯油をつくったという記録があります。新発田藩の許可を得て元和元年(1615年)には、油井をうがちこれを沸壺(にいつぼ)と読んだとあります。この油井は明治30年頃まで盛んに石油を出していたそうです。ところで、「蘭引」の語源はアラビア語の「アランビック」だといわれています。アランビックは蒸留酒や錬金術に用いられた蒸留器のことでした。それが江戸時代に日本に伝わって、水を蒸留して薬用に使ったり、酒類の製造や花の抽出液を取り出して化粧水をつくったりするのに用いられました。



(3)嘉永3年(1850年)頃に、新潟の蘭方医山下喜斎が原油から灯油を製造し、薬用として使ったとつたえられています。



(4)西村毅一氏が蘭方医山下喜斎の指導の下石油精製に成功し、嘉永5年(1852年)に柏原近くの半田村の阿部新左衛門氏(西村氏の兄)の土地に石油精製所を造りました。



ところが、この日本における石油利用の歴史は欧米では無視されているようです。欧米で認知されている近代の(古代メソポタミア文明等の石油利用は除く)石油利用は以下のとおりです。



(1)1847年に瀝青という石炭の一種から滲み出た原油から灯油を作る技術が英国で技師ジェイムズ・ヤング氏によって開発され、翌年特許をとり、この技術が米国に伝わりました。(渡辺氏の本では1850年に米国で特許取得とあります)。

灯油をベースにした照明、暖房の鯨油に対する優位性が知られました。



(2)ポーランドでLukasiewicz氏が灯油ランプの発明(1853年)し、精油法を開発し精油所を建設(1954年)しました。これが、西洋では世界初の近代的石油精製所といわれているものです。



(3)ルーマニアのPloestiで世界で初の大規模な石油精製所が米国資本の投資によって、1856年に建造されました。



この論を書き進めるうちにペリーの艦隊の蒸気船であるサスケハナ号の名前のもとになった、サスケハナ川のほとりに住んでいた頃を懐かしく思い出しました。Tristate Areaと呼ばれるニューヨーク州、ペンシルバニア州、オハイオ州の境の地域です。



その時代の日々が今の私の中に生きているように、西村毅一氏が半田村に造った世界初の石油精製所は、有為曲折経てを現在の柏崎製油所となり、Ignacy Lukasiewicz氏がポーランドに造った製油所は大成功し、氏は当時のポーランドで著名な慈善家として知られていました。



ルーマニアに米国資本により造られた製油所は、その後大発展し第二次大戦では、ドイツ軍と連合軍の間で争奪戦が繰り広げられました。19世紀末から20世紀の欧米を動かしてきた主軸は石油を巡るグレートゲームとも言えるように思います。



さらに20世紀後半から21世紀においても、少なくとも当面は世界を動かしている主軸ともいえます。その大きな流れの鍵を開けたのが、謎の蘭方医・山下喜斎であり、そこから生まれた世界初の石油精製工場でした。その技術の存在が長崎出島を通して米国に知られ目ざとい人の眼を日本に向けさせ、さらにポーランドのLukasiewicz氏がそれからヒントを得て自身も石油精製工場を造ったとのかもしれないと思えてきます。



だからこそ、無視せざるを得ないのかもしれません。しかし、証拠を見つけ出すことはたとえ真実であったとしても非常に難しいことでしょう。



ルーマニアでの製油所建設にいたるまでと猛烈な勢いで進んでいったということの背景には、ことの重要性を明確に知っていて、しかも国家と資本を動かすことの出来る人物の存在を考えるのが自然です。当時、英国、米国が鯨油をとるためにそれぞれ年間100万尾とも言われる大量の鯨を捕殺していたことを考えると、鯨油代替物の市場規模の大きさは目ざとい人間には自明のことでした。しかも照明にも暖房にも灯油の方が優れていました。さらに石油から精製した重油は当時蒸気船の遠洋航海に必須であった石炭の代替物ともなります。



石油は単位重量あたりのエネルギーが石炭より高く、液体であるために輸送もより容易です。そう考えるとその人物にとって、Lukasiewicz氏は世界初の精油所の開拓者としてうってつけの人間です。化学の知識を持ち、政治運動に打ち込んで投獄され、大学も卒業できず一種のあぶれ者でした。なにより、英国やフランスのような科学技術、産業技術が進んだ軍事大国ではありませんでした。石油精製技術によりポーランドが軍事的脅威となる心配はありませんでした。ただしそこから事業で大をなし、富を慈善に大盤振る舞いしたことは立派です。



こう当時の状況を分析すると、ポーランドの精油所建設からの2年後ルーマニアで米国資本による石油精製所が造られたのも納得がいきます。その後、1860年代に米国における石油精製産業が、南北戦争終結後、北部資本により脱兎のごとく広がっていったのも頷けます。



油田の多くは敗戦で疲弊した南部にありました。ただし米国初の油田開削は、安政6年(1959年)にドレークがペンシルバニア州タイタスビルで発見し、おこなったものでした。



渡辺氏の日本対シナ前進基地説には、その後起きたことと不整合な点があります。

まず、米国のシナへの投資が活発化したのは、第一次世界大戦終了以降でした。そんな先のことのために嘉永6年(1953年)にペリー提督を派遣する必要があったのでしょうか。



19世紀後半に米国のシナへの麻薬輸出も大きな規模であったとはとても思えません。当時の麻薬の主産地は英国領であり、英国資本との競争に勝てるとはとても思えません。そんな不利な戦いに挑むより、米国(綿花)→英国(綿製品)→英領インド(麻薬)→シナ(銀、茶)→英国経由米国が利益回収というループを円滑に回す方がはるかに米国資本にとっても得だからです。

そして20世紀になって、このループは米国資本にとってさらに有利になりました。



ボーア戦争において大量の英国債券を買い込んだ米国の銀行は英国勝利によって大もうけしただけでなく、米国は純債権国となりドルは世界基軸通貨となりました。



また米国の投資家が英国企業に多額の投資を行なうことにより、よりストレートに言えば、戦争で疲弊した英国の企業株を安値で買いあさることにより、上記のループで英国企業が儲けたお金が米国資本の懐に転がり込むようになりました。



さらに石油が蒸気船の燃料として使われるようになると、海上輸送単価が大きく下がりました。

結果、それ以前には輸送費が高くて米国からヨーロッパへ輸出できなかった小麦が大量に輸出されるようになり、その結果、ウクライナの小麦が競争に負け、領地の小麦生産に経済的基盤を置いていたロシアの貴族が没落しました。これが、ロシア革命成功の一因となりました。



1927年のオイルメージャーによるアクアキャナリー協約で世界市場における石油の市場価格は、油田のある場所に関係なく米国テキサス州での受け渡し価格を基準としてテキサスからの距離に比例した輸送料を上乗せすることに決められました。



つまりジャヴァと取れた石油ですらアジアではヨーロッパより高い価格が設定されました。

このことにより東アジアにおける石油価格は最高になり東アジア諸国民からお金をふんだくる構造ができました。1934年米国連邦準備銀行法改訂により、ドルは金に対して大幅に値下げされて金兌換となりました。その直前の1年間で1万5千トンの金を米国が輸入したことが米国商務省の統計でわかります。つまり米国に金を輸出した連中と米国で金を輸入した連中は大もうけしました。かれらが事前にドルが大幅な安値で金兌換となることを知らずにそんなことをしたとは到底考えられません。だれがそんな大量の金を動かすだけの資金を持っていたのでしょうか。

そんなことの出来る連中は当時世界にあるひとつのグループの人たちだけでした。



ただし、これらは皆結果論に過ぎないともいえます。しかし、渡辺説も自説に都合のよい事実を集めただけだともいえます。ペリー来航に際して動いた人たちの中には、いろいろな意見、利害関係の人たちがいたはずです。そう考えれば渡辺氏の説も私の仮説も玉葱の何枚もある皮の中の特定の何枚目かだけを取り出して、これが一番重要な皮だといっているように思われます。ただ何枚目かが違うだけです。それなら、結果としての歴史により適合する結果論の方がよいと考えます。ペリーを派遣した人物が、もし、当時の世界経済を的確に把握していたら、そして日本での石油精製とその生成物の利用状況を知っていたら、おそらく恐れおののいて、眠れぬ夜をすごしていたでしょう。



この技術が英国の手に落ちたら、そして当時既にseep oilの存在が知られていたルーマニアと中欧地域に英国の支配が行き渡ったら? 日本におけるseep oil資源が新潟だけでなく全国に広がっていて、日本に英邁な君主と、それを支える有能な群臣がいて、あの技術を活用したら?

しかしペリー来航の嘉永6年(1853年)には、Lukasiewicz氏が灯油ランプを実用化し、再来航した安政1年(1854年)には、ポーランドに石油精製所ができました。



また当時、新発田や柏崎近辺にあった、seep oilの油田地帯も規模が小さく、石油産業として大きく育つ見込みがないと見切れていたのではないのでしょうか。それだからこそそれ以降の米国政府の対日通商交渉が熱意のないゆっくりとしたものになったのではないのでしょうか。

結果論から見るとこちらのシナリオが真実らしく思えてきます。



19世紀半ばから現在に至るまでの160年間を鑑みると、そのうねりはまさに石油争奪と利用技術のグレートゲームでした。そして、これからどう生きていくか、また日本という国をどの方向に進めていくかをの回答を歴史から学ぶには、ペリー来航で米国の指導層の意図が何であったかより、歴史のうねりが、そして流れがどうであったかの方がはるかに重大であると考えます。

(ST生、千葉)



(宮崎正弘のコメント)ロックフェラーは石油生産、精製、運搬そして流通を握り、冨を独占した。その結果、アメリカに独占禁止法が生まれ、適用され、ロックフェラー帝国は、原油生産、精製、運輸、流通と分野別に分社化され、鉄道は独立し、そしてほかの石油会社も生まれ、メジャーは競合しあい、やがてOPECができて振り出しに戻り、市場優先主義が生まれ、そこへ投機資金が入り、グレートゲームは姿を変えてしまった。ところで話を飛ばしますが、アメリカの法律を金科玉条のごとくして、独占禁止法の「精神」が重要と実にみみっちぃ分野にも独禁法を適用させる日本の法律業界。その矮小な姿勢、その法律運用と解釈も度し難いと思います。



以上は、宮崎正弘の国際ニュースより:http://www.melma.com/backnumber_45206_4696658/



  というわけで、幕末にペリーが日本へやってきたのは、石油権益確保のため

  だったのかもしれません。さてさて、歴史の真実はどうなんでしょう。

  興味深々のお題ではあります。

  記:とらのこども google_ad_section_end(name=s1) entryBottom


 


 


 


、メタン、ハイドレード


[PR]

by toranokodomo | 2013-10-27 14:46 | 世界の歴史  

再掲 「核廃棄物地層処理を早期に」

核廃棄物地層処理を早期に  杉浦 正章

http://thenagatachou.blog.so-net.ne.jp/2013-10-18

   



“小泉曲解”に対抗して国民説得を



小泉純一郎の“暴走”が止まらない。それもフィンランドの核廃棄物最終処

分場施設「オンカロ」を視察した結果を完全に見誤っている。視察に同行

した財界人が原発再稼働にプラスと受け取って同調を求めたのに、小泉が

これを拒否して「原発ゼロ」を唱え始めたのはなぜか。



調べてみると、何とフィンランドは小泉の判断とは逆に「原発推進」を目

指して処分施設を世界で初めて創設したのだ。



小泉はこれを“悪意”をもって曲解しているのである。日本でも処分技術は

確立している。問題は場所の選定だ。首相・安倍晋三は17日の本会議で

「取り組みの強化」を明言したが、国有地や離島などを含めた選定に早期

に取り組むべきだ。

 

ニューズウイーク誌などによると、フィンランドが日本や世界各国と異な

るのは、先に処分場をつくって、これに合わせて原発を推進しつつある点

だ。トイレを先につくって、マンションの建設に取りかかるのである。



これなら「トイレなきマンション」などという反原発派のキャッチフレー

ズは成り立たない。極めて論理的な対応である。



原発は既に2基が稼働しており電力に占める割合は日本より高く、

29.6%だ。さらに3基を新設する方向で動いている。フィンランド国内は

世論調査をすれば今でも原発反対が過半数を占めるが、この世界有数の工

業立国がなぜ原発を推進するかと言えば、国家戦略が背景にある。



ロシアと海一つ隔てており、歴史上何度も侵略を受けている。ロシアに石

油や天然ガスを依存していれば、いつ危機的状態に陥るか知れない。加え

て温室効果ガスの問題だ。北辺の地にあるため、地球温暖化で紫外線が降

り注ぐ危険が一番大きいとみているのだ。



オンカロが操業を開始するのは、2020年であり、2100年代には満杯になる

予定だ。フィンランドはその間の80年間の科学技術の進歩にかけているのだ。



つまり、核サイクルの確立や再生可能エネルギーを代替エネルギーとして

使える技術が確立すると予想しているのだ。



この基本戦略を知ってか知らずか小泉は、「原発を経済成長に必要だから

といってつくるよりも同じ金を自然エネルギーに使って循環型社会をつく

る方が建設的じゃないか」とか「早く方針を出した方が企業も国民も原発

ゼロに向かって準備もできる、努力もできる、研究もできる。今こそ原発

をゼロにするという方針を政府・自民党が出せば一気に雰囲気は盛り上が

る」と主張し始めたのだ。



これは責任ある地位に就いたものとも思えないほど無責任で荒唐無稽な主

張だ。いつ実現するか分からない再生可能エネルギーなどに軸足をすべて

移した瞬間から国家は破たんする。まさに亡国の主張だ。



小泉は地層処理自体を「危険」と断定しているがこれも科学的知識にかけ

る主張だ。地層処理をする場合は、使用済みの燃料を「ウラン酸化物とウ

ラン・プルトニウム混合酸化物」と、「高レベル核廃棄物」の二つに分離

する。



そして、後者のプルトニウムを除去した核廃棄物だけをを300メートル 地

下に地層処分するのだ。プルトニウムは別途燃料として活用するのだ。

原爆の材料を埋蔵するわけでは全くない。放射能は、時間を経ると減り、

1000年で99・95%が消滅する。何億年もかかるというのは完全に 放

射能がなくなるまでの時間だ。




経産相・甘利明が「ピュアで短絡的な部分もある方」と小泉を侮辱したと

も取れる発言をしたが、これくらい言っても小泉は分かる男ではない。



しかし、「小泉曲解」を活用する方法はある。それは発言をテコに地層処

理候補地の選定を推進することだ。2007年には高知県東洋町が手を挙げた

が、町長の独断が災いして住民の反対運動を招き、失敗した。



フランスの場合人口90人の村ビュールに地下試験場を建設しているが、地

下では地元住民など400人が働いている。現在は試験場だが将来は地層処

理場となる方向だ。日本の場合も過去何億年も動いていない地層のある国

有地や離島はいくらでもあり、欠如しているのは政治の決断のみである。



安倍は19日の本会議で地層処分について、「20年以上の調査の結果技術的

に実現可能と評価されている」と指摘した。



加えて、「それにもかかわらず処分制度を創設して10年以上を経た現在も

処分場選定調査に着手できない現状を真摯(し)に受け止めなければなら

ない。国として処分場選定に向けた取り組みの強化を責任もって進めてゆ

く」と言明、前向き姿勢を鮮明にさせた。



小泉発言には一切言及しなかったが、これは小泉の名前を出すことで、一

層問題を際立たせる事の損失に配慮したものであろう。無視したのだ。



いずれにしても世界の潮流は核廃棄物は地層処理しかないという方向であ

り、原発再稼働を推進してゆく以上この方向を選択すべきである。



原発問題は今やマスコミの作る風評との戦いだ。歴代政権に欠けているの

は学者や評論家を動員した国民への説得工作である。各地で講演会などを

開いて、直接大衆に向け論理的に説明するのだ。



「脱原発」に偏重するNHKも、方向を改めさせる方策を検討する必要が

ある。NHKは社会部主導の報道に引っ張られることなく、特集番組で正

しいエネルギー政策の在り方や、その方向性を示すべきだ。政府はこうし

たキャンペーンで正しいエネルギー政策を周知徹底させてゆくことから始

めた方がよい。



それにしても「小泉曲解」ほど政治家の判断ミスも珍しい。年を取ったら

九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)ことを戒めな

ければならないが、晩節を汚して恥じることがない。あの軽蔑の対象で選

挙に落ちるところだった元首相・菅直人以上に“菅的”になった。

(政治評論家)<2013年10月18日>


 


 


核廃棄物地層処理を早期に  杉浦 正章

http://thenagatachou.blog.so-net.ne.jp/2013-10-18

 


[PR]

by toranokodomo | 2013-10-27 10:05 | ニュース  

「遠い日の夕暮れ」

子供の頃を思い返せば、あんなに親しかった友人たちが

今はもうどこにいるかも、生きているかすらわからない。


 


5時半になったら家に帰る約束だったのに、あまりにも遊びに熱中して、

ついつい夕日に追われるように帰る。案の定鍵を閉められている。


 



「こんなに遅くに帰って。どこの子ですか?」 冷たく言い放たれて

「またやってしまった」と後悔する。


 


b0314227_2151620.jpg


 


玄関の前に立って泣き出しそうになると、しばらくしてカチャリと鍵が開く音がする。

「明日は約束まもるの?次やったら外に遊びに行かせないからね」と約束させられる。


 


家に入るとカレーの匂い。兄弟がもう食べはじめている。

口をほくほくさせて食べているうちに、もう母との約束の事を忘れかけている。


 


そんな一日一日が充実した毎日だった。


毎日怒られていたけれど、それでもふとんに入ると明日になるのが待ち遠しかった。


 


もう戻らない、あの何でもなかった日。


 


 


 


2ちゃんねるやネットの泣ける話をまとめた涙腺崩壊系の感動読み物サイト。


http://nakeru-story.net/



[PR]

by toranokodomo | 2013-10-27 00:01 | コラム  

「泣ける話し」  ある、ご家族の話し

ある家族のお話し、転載


”ママ”の思いは本当にすごい。心からそう思います。


 


**********************************************************


 


サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。

その時、サキちゃんはまだ2歳。



「あなた、サキのためにビデオを3本残します。

このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。

2本目は小学校の入学式に。

そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」

まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。



そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。

(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)



「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。

でもママはね、テレビの中に引っ越したの。

だから、こうやってしか会えない。

パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。

だったら、ママ、また会いに来ます」



サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。

「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。

ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。

サキちゃん、ちゃんと聞いてね。 ママが今住んでいるところは、天国なの。

だから、もう会えない。

でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。

じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!

ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」



そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。



新しいママが来た日のサキちゃんに



そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。

3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。

なつかしいママの顔が映し出された。



「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。

でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。

…… サキちゃん。今日で本当にお別れです。 ……

サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。

(泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)




ママ、もっと生きたい…。 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。

あなたの成長を見つめていたい…。

 


じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。

それは、『ママを忘れる魔法』です。

ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。

では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」



そこでビデオは終わった。



しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。 パパと、新しいママにも効かなかった。

ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。



そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。




天国のママに見てもらうために


 


 


b0314227_2151692.jpg


 


(写真はイメージ)


 


[PR]

by toranokodomo | 2013-10-26 21:10 | 家族  

徒然草

土曜日の朝でも、早朝から目が覚める。


しかたがない、お体さんのいうとおり、寝床から起き上がる。


 


ひとりだけの朝食を摂り、子どもの朝食の準備も少しだけ。


しばし、新聞を拾い読み、PCを立ち上げる。


 


うちのお狸さんは、実家の大狸さまの具合がよくないので、


3日前から実家へ帰省中。なんとか落ち着いているらしい。


 


お狸さんの老親も、我が家の老親も、


80歳を超えてからは、以前のようではなくなってきている。


 


くりかえし、愚痴とか悪口もいうようになってきた。


 


かなわん、、、と思うけれども、じっと聞いていると、まるで、


自分の老後を透けてみるような気もして、


 


病状を詳しく聞いて、薬や医者のいうことなどを詳しく聞き、


はあはあなるほどー、とありがたく拝聴している。


 


不思議なもので、こちらが根掘り葉掘り聞いているうちは、


昔のままの親の顔のような気がする。


 


親指は、ほかの指をまんべんなく触れて、相手するんやで。


そう聞いた昔しの話し。


 


しらず、親指役は、親から子に変わってきているのだろう。


 


なのに、どっか子ども役の自分が残っていて、


だから、心のうちで「お父ちゃん、お母ちゃん」とつぶやく。


 


神社仏閣へいったとき、


 


いつの頃からか、うちの家族だけやなしに、私の実父母と


狸さんの義父母のことを神さんにお願いする自分がいる。


 


ふと、昔はこうしてお願いをされてたんやろなあ、と気づく。


おかげさんでなんとか、所帯はらせてもうてます。


 


神さん、ほんま、頼んまっせ。父ちゃん、母ちゃんのことを


あんじょう見守ってや。せやないと賽銭どろぼーでっせ!!


 


記:とらのこども


 


 


[PR]

by toranokodomo | 2013-10-26 10:03 | 宗教関係