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リストラ企業に告ぐ!!

リストラしている企業経営者に心を込めて言う。


リストラされるべきは、あなた方だ!!


 


勇退して、後進に道を譲れ。


人生の最後を、泥に汚すことはない。引退しよう。


 


リストラされた社員たちに、心を込めて言う。


復活するための提案書を示して、古巣に戻れ!!


 


会社を復活させることができるのは、


銀行ではないし、年寄りの経営者たちでもない。


 


ましてや、外国の企業でなんかあり得ない。


 


企業を、未来を、自分の手に取り戻すためにも、


復活のシナリオを考えて考えて考え抜こう。


 


そして、できるならば新天地の会社ではなくって、


もう一度、古巣へ戻って辣腕をふるってほしい。


 


だから、経団連は「中途採用枠」の大幅な増加を


しなくてはならない。苦しくとも、それしかない。


 


企業を救うのは、人材しかない。


企業を救うのは、社員の生み出す新製品だけだ。


 


だから、俺を採用しろ!!


みんなまとめて、救ってやる!!


 


以上、中年サラリーマンを代表して言ってみた。


これは、本音だ。


 


記:とらのこども


 


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by toranokodomo | 2013-02-28 20:49 | 指定なし  

コタツ君に捧ぐ :寒い夜には。。。

寒い夜には、人肌が恋しい。

あたたかくやわらかく包むこむような、温もりが欲しい。



でも、ほんとに欲しいのは、温かい気持ち。

やさしく微笑んで、話しを聞いて欲しい。そう思う。



いろりの焔がゆらめいて、

しんと静まる夜なべのころに、物語りこそ似合うもの。



こたつに蜜柑。

暖房はデロンギだけ。くっくっと頑張る。



テレビはいらない。

足先がつっついて、漫画を読んでねっころがる。



そのうち、学校の話しなど、

そのうち、スキーの話しなど、少しずつ話し出す。



誰かが話して、誰かが囃して、

誰かがちゃあんと聞いていて、誰かが願いを叶える。



そんな炬燵。欲しくはありませんか?

そういうとき、テレビはいらないんです。



寒い夜には、人肌が恋しい。

あたたかくやわらかく包むこむような、温もりが欲しい。



大好きなあの人を、ボクが温めてあげようと思うけれど、

湯たんぽ君に、今夜は譲るとしよう。


 


ああ、大好きなコタツの季節が去っていく。


春が来るのはうれしいけれど。。。


 


まいとし、春になるとさみしいきぶん♪




記:とらのこども


 


 


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by toranokodomo | 2013-02-28 17:16 | 指定なし  

自分への責任は、自分で負う ~ 「生き抜け!!」

ウエイン・ダイヤーというアメリカの心理学者さんがいらっしゃって、

この人が、「自分のための人生」という本を書いています。



参考:http://www.din.or.jp/~honda/diary6-31.htm



そのなかに、こう書いています。

「過去のせい、誰かのせいを捨てたときから、人生は好転する。」



また、すべては自分で選択することができるということもおっしゃっています。



だから、今の自分は、今までの自分の選択の結果といえます。

また、良人がどう言おうが、自分は自分であるし、自分のすることもまた自分の責任です。





また、他の人のことばでこんなのもあります。



誰かを責めても、仕返ししても、罰を下しても、幸せにはなれません。

許さなければ、求めているものは得られません。ジャンボ留守キー



言い訳することをやめた途端、あなたは頂点へ立つ道に立つことになる。

自分自身に対する責任を、完全に引き受けたからだ。懲りん・ターナー





  というわけで、何かを実行できない理由ではなく、

  実行できる理由を探しましょう。



  何かを禁止するのではなく、何かをしましょう。

  そのほうが気持ちいいと思います。




  記:とらのこども


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by toranokodomo | 2013-02-27 17:27 | 指定なし  

「自分より好きなひと」

わたしは、ナルシストなんだろうと思います。


自分のことが大好きで、自分の考えることを応援してしまう。


 


わたしには、大好きなひとがいます。


たくさんいます。気が多くってホント、困ってしまいます。


 


大好きな人には、会いたいと思うし、電話したくなるし、


どうしてるの?、元気にしてるって聞きたくなる。


 


わたしには、いとおしいひとがいます。


いつも心配で、見守りたいと思う。守りたいと思います。


 


わたしには、大好きなタイプの笑顔があります。


顔ぜんぶが笑顔で弾けるような、そんな笑顔が大好きです。


 


ん~、たとえば、大場久美子のような笑顔かな!?


 


もうひとつ、好きなタイプの笑顔があります。


何かをうちに秘めたような、そんな笑顔も大好きです。


 


んー、キャンディーズのランちゃんのような笑顔かなあ。


 


あんまし書くと、気の多いのがばれちゃうので、


とにかく、そういう笑顔の守護神になりたいわたしです。


 


記:とらのこども


 


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うちの山ノ神に似てたりして。。。


うーーん、似てる。こんなにきれいなのに、辛らつな言葉を


わたしにプレゼントしてくれる。ありがたい山ノ神さん。


 


大切に、大切にします!!


せやから、わたしのことも大切にしてっ。冗談です。。。


 


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by toranokodomo | 2013-02-26 20:37 | 指定なし  

わたしの思う「ヒトラー」への感想

個人的意見だけれども、


ヒトラーは当時の普通のドイツ人だったのだと思っている。


 


だから、たしょうの行き過ぎはあったにせよ、


ヒトラーの政策は、ドイツ人の思っていたことをやっただけ。


 


個人的意見だけれども、


昭和天皇陛下もまた、普通の日本人だったのだと思う。


 


だから、わたしは日本人として大いなる誇りを感じている。


日本人でよかった、現代に続く礎たりえたと思う。


 


今また、世界は大きな岐路に立っている。


世界は家族だと思う日本人、平和を愛する日本人として


 


今という現代を生きて生きたいと思う。


”愛”は世界を救うと信じている。


 


こころから。。。


 


記:ロドリゲス・とらのこども


 


 


 


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by toranokodomo | 2013-02-26 20:12 | 指定なし  

アドルフ・ヒトラーの予言

アドルフ・ヒトラーは、言わずと知れたドイツ第3帝国の総統だった。

第2次世界大戦を引き起こし、世界、特に欧州全部をを恐怖の淵に誘った。



このヒトラーが大予言者だったことは、一般的ではないが、

いくつかの本が出ている。



その中に、ロケットや原爆のことも、インターネットの実なども予言されている。

彼が生まれて50年後に大戦が終結し、100年後にはベルリンの壁が崩壊した。



日本に関係ある部分ではないか、、、と言われている部分として、

「東のほうに大人になっても、皆、子どものままという不思議な国が出現する」

というものがある。



そんなことは通常、有り得ない国の状況だが、

日本の状況を考えると、ずばりその通りではないか?という気もする。



また、神人(超新人類)の出現も予言している。



それは、生まれてまもない時期に、すでに大人の思考を持ち、

世界の全てを見通す能力を持つという。



世界は、その超新人類に完全に支配され、人々は農耕の牛馬のようになる。

ヒトラーの死後、100年後にそういう時代が来るという。



それは、2039年だ。



また、それを阻止する可能性も示唆している。

それもまた日本であり、日本から世界を救う何かが出てくると。。。



そは弥勒菩薩の登場か!?

(弥勒菩薩とは、景教(日本に来たユダヤ人がもたらしたという)の影響)

(という説もある。)



興味のある方は、本を求めてご覧ください。

なかなか興味深く面白いです。



記:とらのこども@休日再掲シリーズ





ヒトラーの予言

http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html




(ヒトラーの予言より、一部抜粋)

「よろしい、では解説してやろうハンス。私が言った未来に現われる

「永遠の未成年者集団」というのは、もちろん、死ぬまで大人になり

きれない人間たち、ということだ。そんなことは、厳しい正常な社会

ではありえない。だからそうなる背景には、甘やかされた異常な社会

が当然ある。その中で同じように大人になりきれない親に、愛玩動物

のように育てられるため、子供も成人しても真の大人になれないのだ。



しかしハンス、実はそれだけじゃない。私が本当に言いたかったのは、

そのことではない。未来社会には、そういう「永遠の未成年者集団」

が現われる一方で、幼いときから大人の思考と感情を持った人間達も

現われるのだ。信じられないだろうが、彼らは胎児のときからさえ、

そのように教育される。5つか6つで一人前の理屈と判断力を備え、

13,4歳にもなれば、並の大人を指揮するほどの力を持つようになる。

つまり両極端ということだ。



肉体が大人で感情が幼児のようなグループと、肉体はまだ青春期にま

でいかないのに、思考と感情が大人を超えるグループ・・・」



「しかもハンス、それは人間の発育状況だけじゃないのだ。人類と社

会のあらゆることが、未来には、そのように両極端に分かれてしまう

のだ。たとえばカネだ。一方には腐るほど大量のカネを持ち、広く高

価な土地を持ち、労せずして限りなく肥っていく階級が現われる。

貴族とか新しい中産階級とか言ったのはその意味だ。



だが少数の彼らが現われる一方で、他方の極には、何をどうやっても

絶対に浮かび上がれない連中も現われるのだ。それはカネだけの問題

でもない。より正確にいえば、精神の問題だ。限りなく心が豊かにな

っていく精神の貴族、精神の新しい中産階級が現われる半面、支配者

が笑えと言えば笑い、戦えといえば戦う「無知の大衆」「新しい奴隷」

も増えていくのだ。」


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by toranokodomo | 2013-02-23 19:47 | 指定なし  

年取って、死ぬだけ。。。

最近、ついつい口にしてしまう悪い言葉。。。


「もう俺は、このまま定年になって、年取って死ぬだけや」


 


そらそうや、そないなんのが普通やねんから。


どしてん!?お前さんは不満なん???


 


せや、不満やねん。こんなもんとちゃうはずや。


もっともっともっと、大きい仕事をしたいねん、できるはず。


 


どっかにそう思てるから、そんなせりふを口にする。


もう50歳、まだ50歳。


 


もう今まで以上のことはできひんねんから、


黙って年貢を納めとれや、そない叱りとばす自分もいて、


 


あほ言うたらあかん。広い世の中には、


お前さんを待ってる人が絶対にいてるはずやねん。


 


くすぶっててどないすんねん。


腕まくりして、きちっと勝負したらんかい!!


 


今のぬるま湯で、そのままでええと思うてないねんやろ。


俺は知ってんで、何というても俺はお前さんやねんから。


 


かめへん、いてまえっ!!


 


記:とらのこども


 


 


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追伸) あーーー、せやけど、勇気ないわあ。。。


ほんま、しょむないやつや。せやけど、そんなお前さんも


俺は嫌いやないで。お母ちゃんや子供が大事やもんな。


 


わかるわー、変なことせえへんのも勇気やと思うで。


なんもせんのも、勇気ある決断やねん、な。


 


 


 


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by toranokodomo | 2013-02-23 12:59 | コラム  

「忘れちゃいけないことがある」

津波で助かった命 妻はなぜ、闇の海へ


【自殺考 第1部 被災地から(1)】


 


 岩手県釜石市。未曾有の大津波から1年がたった。三陸のリアス式海岸特有の入り組んだ湾は、波も立てず穏やかな表情を見せていた。あの日から5カ月あまりが過ぎた昨年8月、この海へ一人の女性が身を沈めた。当時54歳だったその女性は、震災後、避難所の運営にも携わるほど快活な人だったという。津波で助かった命が、なぜ海へ向かわなければならなかったのだろう。


 


 ■「助けてあげられなかった…」自責の念と喪失感


 女性の夫(64)が暮らす仮設住宅は、自宅からほど近い学校のグラウンドにあった。あたりは春を前に、最後の雪が積もっていた。


 


 2DKの仮設住宅には、妻が自宅から持ち込んだという家財道具があふれていた。生花が供えられた仮の仏壇には満面の笑みをたたえる女性の遺影があった。「お見合いで結婚したんだけど、もう30年も一緒だったんだなあ」。夫は写真に目をやりながら笑った。


 


 震災まで、家族は夫婦と長男(27)、そして夫の両親の5人暮らしだった。漁業関係の仕事につく夫を支え、自らも積極的に近所付き合いを行う、明るい女性だったという。


 


 3月11日。自宅にいた女性は間一髪で高台に逃れたが、自宅で横になっていた当時97歳の義父は、黒い津波にのまれ、自宅近くで冷たくなって発見された


 


遠く離れた内陸部の体育館で始まった避難生活で、女性は当初、避難所の運営に携わり、食事の配布などを手伝っていた。しかし、次第に「眠れない」などと、体の不調を訴えるようになったという。


 


 「おとうさんを助けてあげられなかった」。よくそう言って自分を責めていたという。しかも、亡くなったのは義父だけではなかった。女性の親友や、幼い頃から親しかったいとこまでもが津波で命を落とした。


 


 「津波で話し相手が一気にいなくなってしまったんですよ」。夫は大きな支えを失った妻の気持ちを思いやった。


 


 7月、仮設住宅が建って、遠い避難所から地元に戻れることになった。多くの被災者が喜ぶ中で、女性は暮らしていた町へ戻ることを嫌がった。「帰りたくない。海を見たくない」。海辺の町は、忌まわしい記憶と直結していたのだ。ようやく家族だけの生活が始まっても、彼女の不調が改善されることはなかった。


 


 ■長男の結婚待たずに


 8月20日午前4時ごろに目を覚ました夫は、隣で寝ていたはずの妻の姿がないことに気付いた。散歩にでも行ったのかと、しばらく待ってみたが戻ってくる様子はない。不安になって、心当たりを探し回った。


 


 海辺で妻のバッグが見つかった。亡くなった親友からもらったものだった。知人が船を出し、波間を漂う妻を見つけてくれた。


 長男の結婚が年内に決まっていた。7月に行った両家同士でのささやかな会食では笑顔で、結婚する日を楽しみにしていたという。「なんでなのかなあ。そのうち孫も生まれるだろうし、これから楽しいこと、いっぱいあるのに」。夫はうつむいた。


 


 ■生と死の境界、あいまいに


 震災から5カ月を経てもたらされたひとつの訃報。


 「なぜ」。遺族はもとより、被災者を支援してきた周囲の人々もショックを隠せない。


 


 女性が自ら死を選んだ本当の理由は誰にも分からない。ただ、被災地で聞いた50代の女性の言葉が耳に残っている。


 「釜石では震災で1000人以上の命が失われたんです。奥さんと息子さん夫婦を亡くした方や、80歳のおじいちゃんと孫2人だけ残った家庭もある。ここでは生と死の境界があいまいになっているんですよ」(文化部・佐々木詩)


 


     ◇


 内閣府と警察庁が先週公表した統計によると、日本では14年連続で3万人以上の人が自殺によって亡くなっている。なぜ自ら命を絶たなければならないのか。第1部では、被災地の自殺と心のケアについてリポートする。


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by toranokodomo | 2013-02-22 19:52 | 指定なし  

「言の葉さやげ」 茨木 のり子

   六月 茨木 のり子



   どこかに美しい村はないか

   一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒

   鍬を立てかけ 籠を置き

   男も女も大きなジョッキをかたむける

 

   どこかに美しい街はないか

   食べられる実をつけた街路樹が

   どこまでも続き すみれ色した夕暮れは

   若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

 

   どこかに美しい人と人との力はないか

   同じ時代をともに生きる 

   したしさとおかしさとそうして怒りが

   鋭い力となって たちあらわれる 


 


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―渡辺知明によるポッドキャスティングのための朗読作品― 詩集のリンクもあり。

六月/茨木のり子 : http://kotoba-hyogen.seesaa.net/article/13497578.html



詩集:「言の葉さやげ」 茨木 のり子

すっごくお勧めです!


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by toranokodomo | 2013-02-21 17:12 | 指定なし  

「忘れちゃいけないことがある」


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津波の2分前、最後のメール…


   無き妻の携帯 2年ぶり家族の元へ





2013/02/20 10:27更新



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 ■津波直前「大丈夫?私たちは避難中」


 一昨年3月11日の東日本大震災で甚大な津波被害を受けた岩手県陸前高田市の復興現場から1台の携帯電話が見つかった。持ち主は津波の犠牲になった同市職員、福田晃子(こうこ)さん=当時(54)。大量の海水をかぶったはずの携帯電話は電源が入り、そこには当日のメールが残されていた。「私は大丈夫、まだ揺れている」「大丈夫? 私たちは公園に避難中」。震災から2年近い時間を経て家族の元に戻った遺品は多くのものを語りかけた。(写真報道局 鈴木健児)


 


 ◆電源が入った


 福田さんの携帯電話は陸前高田市民会館の解体現場にあった。今月15日、作業員が1階部分で見つけたと記者に手渡したものだ。


 壊滅的被害を受けた同市中心部では、市役所や体育館などの解体作業が今も続いている。市指定の避難先だった市民会館には大津波が襲い、多くの死傷者を出した。作業現場では、今もカメラや腕時計などが見つかっている。晃子さんの携帯電話もその一つだった。


 持ち主が分かれば、と電源コードをつないだ。多分だめだろう、という記者の予想と異なり、電源が入った。通話履歴にあった「自宅」に電話すると、母、金沢雅子さん(78)が応対に出た。「晃子は津波で亡くなりました。私の娘で『こうこ』と読みます」







 


解体現場で預かった携帯電話を届けるため、その日のうちに晃子さん宅を訪れた。市中心から約8キロ東の海岸部。津波被害は受けなかったという。


 


 晃子さんは被災当時、市福祉課の課長代理をしていた。父の金沢善郎さん(82)によると、がん治療のため盛岡で入院していた晃子さんは3月9日に退院、自宅に戻った。雅子さんは出勤を控えるよう勧めたが「仕事がたまっているから」と仕事に復帰したのは震災前日の10日だった。


 


 3月11日午後2時46分。同市を震度6弱の揺れが襲ったとき、自宅には両親と次女の福田有里さん(24)がいた。夫の利喜さん(54)はまもなく帰宅。長男、陽介さん(28)は盛岡、長女、由貴さん(26)は東京で無事が確認された。勤めに出ていた晃子さんの安否だけ分からなかった。


 


 ◆最後のメール


 3月11日の晃子さんの携帯電話には、通話発信2件、着信1件、メールは3件発信、2件受信の履歴が残っている。


 


 発生13分後の午後2時59分、山口県に住む叔母からのメールに「私は大丈夫、まだ揺れている」と返信。


 午後3時8分、両親の携帯に電話をかけ、その10分後に由貴さんと「大丈夫」という会話をしている。


 


 21分には有里さんに電話したがつながらなかった。家族全員の安否を気遣っているのが分かる。


 


 そして午後3時22分、利喜さんに「大丈夫? 私たちは館のおき公園(注・館の沖公園)に避難中」とのメールを発信している。


 陸前高田市に津波が到達する2分前。これが最後のメールとなった。


 


 ■「いつも近くで見ているから」 母の思い心に…


 一夜明けた12日、ラジオで市役所屋上に100人が避難していると知り、善郎さんと有里さんは市役所に向かう。がれきが埋め尽くす道路の中、やっとの思いでたどり着いた屋上に晃子さんの姿はなかった。その後も家族で避難所をまわったが、晃子さんは見つからなかった。


 


 「責任感の強い、親思いの一人娘だった。なぜ市役所屋上に逃げなかったのか。いまだに当時の避難経路の検証もなく、あきらめられない」。当時のようすを語る善郎さんの唇はふるえていた。利喜さんも怒りを隠そうとしなかった。「市長も市幹部も市役所屋上に避難しているのに、なぜ公園に避難するのか。きちんと検証をしてほしい」


 


 20日午後、住田町生涯スポーツセンターでひつぎに納められていた晃子さんと悲しい対面をする。


 


 その日遺品として受け取ったのが由貴さんが贈った、ピアノの鍵盤模様のストラップだ。晃子さんの携帯電話はストラップと2年ぶりに再会したことになる。


 


 有里さんは「うまくいかない時など、津波を思い出して無理に気持ちを奮い立たせてきた。震災から2年を前に母の携帯電話が見つかるなんて。母が最後に電話したのが私だと分かり、『いつも近くで見ているから、がんばり過ぎなくていいよ』と言ってくれている気がした」と涙をした。


 


 公園にいた晃子さんの携帯電話が、なぜ市民会館にあったのか、わかるすべはない。


 


 東北地方では東日本大震災2日前の9日に前震とみられる地震があった。陸前高田市は震度4。そのとき、晃子さんは大学時代の友人にメールをしていた。


 


 「揺れは大丈夫。津波だけが心配。。。」


 


 


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by toranokodomo | 2013-02-20 19:51 | 指定なし