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「生きる」

生きるとは、生き抜くことだ。

憐れみなぞ、かわいそうなぞ、思われても、死んでしまえば何にもならぬ。



世界中を全て敵に回しても、生き抜くのだ。



正しいだけでは意味がない。

強くなくては。




上記の元の言葉は、ユダヤの格言より。


 


記:とらのこども



  さすが、ユダヤは違う。


  日本人にも同じ凄みがある。


  少し忘れかけているだけ。


 


 


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by toranokodomo | 2011-09-30 18:43 | コラム  

自分を守るには。。。

あなたを尊敬している後輩がいたとしたら、厳しく叱咤激励をしても、

陰湿ないじめをすることができるだろうか?



あなたを好む友人、大好きだと言う異性がいたとしたら、

応援したり、助けることはしても、悲しませることをするだろうか?



否。そんなことはできない。

だから、自分を守るためにすることは決まっているのだ。





  『人のことをよく言う習慣を養成しなさい。

   交わっている友人のよい特質に留意し、

   その過失や欠点はできるかぎり見ないようにし……

   その人の生活や品性のどこかをほめなさい』 エレン・G・ホワイト



  『相手の長所と向き合えることを

   自分の長所にしてごらん』 斎藤茂太

http://meigen.shiawasehp.net/s/s-saitou06.html





まず、嫌われないためには、嫌われることをしない。

そして、好かれたいならば、素敵なところを見せる。

さらに、自分らしくありたいなら、自分の大切に思うことを大切にしよう。



自分を守るとは、そういうことだ。




記:とらのこども


 


 


 


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by toranokodomo | 2011-09-29 18:42 | 仕事の話し  

カレーライス大好き!!

子どもが大好き、カレーライス。

わたしもそう。子どものころ、カレーの日は飛び上がったものだ。





とはいえ、食べて満足。。。終わり、じゃないのが私らしい。


私の大好きだったカレーライスは、一晩、寝かせたもの。


 


寝る前にご飯にカレーをかけて、適度にかき混ぜる。


これを一晩、水屋で寝かす。


 


翌朝、ご飯に染み渡ったカレーの味。





気が狂うくらいうまかった。





温かく食べたいときは、フライパンでかるく温める。

いわゆるカレーチャーハンなんだけど、もっとカレーに近い。





もし辛くなりすぎたときは、

生卵をぽとり。または、牛乳を少量、流し込めばOKだ。





もうずいぶん作ったことのない、僕の好きなカレーライス。

この休日に、久しぶりに作ってみようかな??





ちなみに、数少ない得意料理でもあります。





玉ねぎをじっくり炒めるところから、ちゃんと作るんです。

味のほうは、、、それなりです。はい♪





記:とらのこども


 


 


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by toranokodomo | 2011-09-28 18:40 | 自分の話し  

「感情があってこそ」

「喜怒哀楽」とひと言でくくられる感情というもの。

「情操」といったほうがいいかも、しれません。





 
理不尽なものに、いっぱい怒って、



 悲しいことには、いっぱい泣いて、



 愛しい人へは、切ない想いを抱いて、



 そして、うれしいとき、楽しいときには、



 いっぱい笑って過ごす。






情操が素晴らしい発想を、果敢な行動を呼びます。

それこそが人生だと思います。


 


自分を止めないで、


笑って、泣いて、怒って、胸をきゅんってしましょう。


 


そういう人が大好きです!!



記:とらのこども


 


 


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by toranokodomo | 2011-09-27 21:40 | 恋愛、女性  

共済bankという考え方

お金は経済の血液だといいますが、

実はドロドロ血で、バイキンがいっぱいで、病気の元です。



経済とは、サラサラ血のお金の世界であるならば、



例えば、100円の売り上げに対して、

最終的に100円が出て行きます。




直接材料費(原価)、人件費、設備投資、税金などです。



全ての会社、全ての個人が同様に入ったお金を出すならば

お金はグルグル回って、社会を潤し、支える道具です。



でも実際には、会社の回転資金、設備投資資金などの費用

として、借入れがあり、金利を支払います。



100億円受け取っても、金利を差し引いた分だけを社会

へ還流することになり、社会全体からお金が減ります。



だから、企業は減った分を補うために売り上げを増やさな

くてはいけないのです。同じ売り上げならマイナスです。



資本主義が成長を求めるのは、これが根本です。





私が提唱したいのは、共済保険と同じような、

共済銀行という考え方です。




家族でお金を出し合うのと同じように、共同体単位でお金

を出し合って、社会活動を支えるのです。



利益が出れば、共済組合員で分け合えばいいし、

逆に損失が出たときには、共済組合員全体で負担をします。



これは目新しいことではありません。



日本では庶民は「頼母子講(たのもしこう)」とか「無尽

(むじん)」という内輪だけの相互扶助をしてきました。



イスラームでも、中世以前のキリスト教でも、

「金利を取ってはならない」ことが当たり前だったのです。



今、当たり前と思っている、現代の銀行金融システムとは

極悪非道な、巨悪の金融世界なのです。



皆さんが、銀行や郵貯から、共済銀行へ資金を移すだけで、

きっとこの世の中は、素晴らしい世の中になります。



記:とらのこども


 


 


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by toranokodomo | 2011-09-26 21:18 | 日本経済  

「朝鮮の常識、韓国の常識」

日本では、親から子へと同じ「一字」を受け継ぐことが

少なくありませんが、朝鮮では決してありません。



それが朝鮮の名付けの常識なんだそうです。



だから、韓国の皆さんは、北朝鮮の金日成、正日、正男、

そして正恩という、名付けは異常なことだと知っている。



それが韓国の暗黙の常識なんだそうです。



暗示する意味は、王朝的世襲の意志を示しているのか?

感覚的な受け止め方ですから、はっきりしませんが、



きっとそういうことなのでしょうね。

受け止めた側は、知らず知らず受け止めるんでしょうか。



それとも、違う反応があるんでしょうか。

ホントは、世界はそれを知りたい。



とりあえず、国民のための自主独立の邦を自ら作り出す。

そういう能力は、無いように見えてしかたない。



もっとも、他人のことはいえない。

日本もまた、同じようなものかも。



過去はともかく、今の日本には雄雄しく立ち上がり、

やるべきことを断乎としてやり遂げる。



そういう気迫が感じられないような気がするのです。

決して、そうではないと思いたいのですが。。。



記:とらのこども

 


 


注)上記朝鮮とは、歴史ある朝鮮半島全域を指して朝鮮と


表記し、上記韓国とは、大韓民国のエリアを指しています。


 


 


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by toranokodomo | 2011-09-25 21:23 | 韓国  

「自分の居場所」

人に与えうる、もっとも大切なことは教育である。


 


家族の一員としての教育もあり、


親族の一員としての教育もある。


 


学校生活のなかの教育もあれば、


クラブ活動や友達のなかでの教育もある。


 


社会に出てからも、


遊び友達のなかでも、会社の中でも教育がある。


 


そうした教育を通り過ぎて、


自分の教育は、「マイセルフ」で成すようになる。


 


そして、いつの日か、自分で考えて、


家族のために、世のため人のために


 


みんなのなかで、


 


自分のできる、何かを為さねばならぬ。


それこそが、「自分の居場所」というものだろう。


 


そして、もっと大きなことを為すために、


 


組織せよ。力を出せ。てこを使え。


そして現代の梃子(てこ)は、選挙制度しかない。


 


自分の代表を持たない者は、


自分の環境をよりよくすることの放棄だろう。


 


仲間を持ち、代表を持ち、


ぜひとも社会に貢献したいと思います。


 


記:とらのこども


 


 


 


  自分の代表ってのは、ホントは自然で簡単。


 


  バレーの友達の中なら、誰が代表だって意識でいい。


  そして、その代表者を皆でちゃんと支えるだけでいい。


 


  親族の中にも、会社の同期の中にも、


  クラスメートにも、PTAにも、自治会においても、


 


  そういう自分の代表がちゃあんといて、


  自分がその人を、自分のできることで支えるんです。


 


  それができれば、自然と、


  みんなのための自分、自分のみんなができてくる。


 


  その関係は、水と魚と同じです。


  ただし、泳ぐ水は自分で作る、自分できれいにする。


  


  それが、気持ちいいんです。


  それが、自然なんやと思うんですね。


 


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by toranokodomo | 2011-09-25 10:05 | コラム  

「ひとつひとつ」

ひとつ

ひとつの

積み重ねが



あなたの

想いを

現実にする








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by toranokodomo | 2011-09-24 21:55 | コラム  

私の信じている日本・超古代史

日本の縄文時代が始まったのは、今から1万5千年前と見られている。BC130世紀のことになる。そこから縄文土器を使用したことになる。日本でのペトログラフ使用は今から6500前のことであり、BC45世紀である。そのペトロクラフは世界の各地で見つかっている。それと共に、日本の縄文土器も各地から見つかっている。北米、ハワイやペルーからも日本の縄文土器が見つかる。このため、この当時、太平洋を横断して行き来していたことが分かるのである。



ペトログラフは、メソポタミアのシュメール文字の古形であり、日本から出た文字がメソポタミアに行ったことになる。メソポタミア文明ができたのはBC30世紀である。このシュメール文字がフェニキア文字になり、ローマ字に変化して欧州のアーリア民族に伝わり、今の英語などになっている。また、インドのサンスクリット文字もこのペトログラフによく似ている。アーリア民族全体にアジアの草原で伝えられたようにも感じる。しかし、この日本ではペトログラフは使用していない。ここに大きな疑問がある。



謎の神代文字として、数種類の文字があるが、どうも当時から神との交信に使って、一般的ではなかったようである。そして、当然のごとく、この文字は現在でも使用されていない。しかし、どれもローマ字のような構成になっているのが特徴であり、そのため40年以前には、後世に創作したと思われていたが、そうではないことがペトログラフの発見で分かったのである。この神代文字で書かれた歴史書を見ると、古事記や日本書記とは違う日本の古代史が見える。そして、その記述を民俗学も支援している。



古代の日本はバラバラであったことや、そのバラバラな民族がアジア大陸と黒曜石などの交易していたことが判明している。民族の交流もあり、日本はいろいろな異民族がいたことが分かる。今のニューヨークのような様相を示していたように感じる。日本から見ると、新羅や百済から来るように見えるが渡来人の最終経由地であったと見る。



前2世紀(中国は秦崩壊後の前漢王朝時代)から弥生時代が始まるが、縄文人と弥生人は住み分けがされていて戦争になっていない。縄文人でも畑があったが、労働をしないでも収穫できたのに、後から来た弥生人は洪水がある低地で、しかも朝から晩まで労働している姿を縄文人はバカにしていたようだ。



縄文時代の日本の人口は最大30万人程度であり、1つの集落は500人が最大で、それより小さい。阿蘇山の大爆発などで西日本には1万人以下しか住んでいない。95%以上が東日本に住んでいた。



弥生人とは、夏王朝の難民や漢王国の華僑や阿蘇山の大爆発で避難した縄文人が中国や朝鮮で混血となって帰ってきた人たちのことで、彼らは、主に西日本に住んで、砂金などを取って輸出し、田畑で麦や米を耕作していた。この弥生人は基本的に漢字文化圏からの人たちであり、歴史が漢字で書かれることになる。



融和政策でアマテラスという太陽神として縄文神を取り入れる。初期の移住者は、道教の古形である鬼道派であり、祈祷、呪い、祝詞、お告げなどを持っている。3世紀の邪馬台国の卑弥呼は、道教の巫女で「鬼道に事え能く衆を惑わした。」との記述がある。この卑弥呼のような信仰形式は縄文人にはなかった。



次に4世紀に秦氏が新羅から道教の神道派を持ってくる。老子、荘子、易経や、どうも秦氏は仏教、景教の影響も受け、思想体系を確立したようだ。そして、その前の巫はそのまま継続した道教を神道として導入して、神仏融合の八幡神社を宇佐八幡として創設した。



これが縄文人が信仰していたアミニズムの宗教に付加されて、今のような神社になったようだ。秦氏一族・2万人以上が移住してきたと想定されている。鉄の製造技術や法隆寺など建築技術も持っていた。



秦氏はその後、その技術力を買われて、今の京都、山城に呼ばれたが、そこでは国家の要請で氏寺・太秦寺を作って、ここでは景教の要素を出している。八幡神社としては石清水八幡宮のほうが宇佐八幡宮より有名になるが、今全国に8万社もある八幡神社に成長している。



漢東氏、蘇我氏なども百済、新羅から移住してきたが、倭の大乱の後は平和を取り戻す。これは日本が豊かで全員が暮らしていけるからで、その時の日本の人口は200万人であるが、砂金が取れたことが重要であったようだ。鉄は当初、任那からの輸入であったが、これも秦氏の日本移住でできるようになる。



しかし、この縄文と弥生が繋がっていないことに疑問を持ちませんか。



大和朝廷に果たした秦氏の存在が大きいが、日本に来た時期が遅かったことで、権力機構に入れなかったように思う。しかし、この秦氏がどこから来たかにより、見方が大きく変わる。



ペトロ文字は西日本からしか発見されていない。これはBC40世紀の阿蘇山の大爆発で、西日本が住めなくなり、ここに住んでいた日本人がどこかに移住したことを示している。大部分は朝鮮半島や中国などの日本周辺に住んだのだが、一部の縄文人は集団で行動して、それより遠くに行ったことになる。この人たちがメソポタミアまで行く着くことに成る。BC30世紀にメソポタミア文明を作り、この民族全体がBC25世紀、エジプトにその技術力を買われて、その捕虜となる。



許されて、神との契約を誓うことになり、ユダヤ人と認識することになる。ユダヤ人はアシケナージとスファラディに割れている。このうち、アシケナージが典型的なユダヤ人とみなすと、それは違う。周辺イスラム教徒のセム族と同じスファラディこそが、本来のユダヤ人である。



ユダヤ人の11部族の内10部族が、イスラエル王国を作るが、BC6世紀、アッシリアに負けてバビロンに捕囚される。しかし、そのアッシリアも負け、捕虜は許されてユダヤの地に戻らずに、日本に向かうことになる。BC3世紀に秦を作り、しかし20年足らずで滅びる。秦氏一族2万人は朝鮮に向かい、そして、日本に4世紀に帰還したのだと見ている。



1584.縄文時代の再考

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160403.htm

415-2.日本の道教について

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/1301202.htm

299-1.古田史観など

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1209251.htm



以上、国際戦略コラム「とてつもない日本の歴史」より転載。





  日本・ユダヤ同祖説があるが、日本人がユダヤ人となった後、再び日本に戻ったという

  説は初めて聞いた。興奮する古代史説である。秦の始皇帝も日本人だったのだから。

  記:とらのこども
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by toranokodomo | 2011-09-24 09:30 | 日本の歴史  

「私の信じている、日本・古代史」

わたしがそれと信じている日本史シリーズ。

ここに紹介するものは、いつか、どこかで本などで読んだものです。



本当かどうかはわかりませんが、歴史で通説とされていることは本当か!?


と問わば、本当のところはわからない。。。ということがいっぱいあります。



有名なところでは、源義経が海を渡って、ジンギス・ハーンになったという


話しもあります。日本人から見れば、夢も、ロマンスもある。ウソのような


ホントの話しかもしれません。






今日のお題。

「大化の改心で暗殺された蘇我入鹿は、正式な日本の天皇だった。」

「蘇我入鹿は、実は聖徳太子だった。」




聖徳太子では、あの有名な中国への書。

「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」


(「日出處天子致書日沒處天子」

『隋書』に記録あり。天子とは素直に読めば天皇でしょう。



参考 : 聖徳太子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90





この話し。わたしは密かに信じています。皆様はいかがでしょうか?



記:とらのこども


 


 


 


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by toranokodomo | 2011-09-24 06:58 | 日本の歴史