カテゴリ:コラム( 105 )

 

「現代のつれづれ草」(再掲)

つれづれなるまゝに、日くらし、



硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、



そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。




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  ブログを綴る人のこころは、吉田兼好のこころに通じるかも。。

  とすれば、書いてあるうちに「あやしうこそものぐるほしけれ」か!?



  また、その一節にはこうある。





四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待たず。



死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。



人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。



沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。






  知っているが気付かず、忘れておるうちに死が迫っている。

  何かをしたい、何かを伝えたい。無意識下、そう思うからブログを書く。



  あれこれ悩まず、やりたいことをやるべき。

  そう思えるのである。(ただし、家人に迷惑をかけないように。。。)






  記:とらのこども


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by toranokodomo | 2013-10-22 19:25 | コラム  

「書くということ」

その昔、釈迦が、ソクラテスが、行基が、法然が、


キリストも、ソクラテスも、著書というものを残していない。


 


もちろん、彼らそれぞれ学問があり、著書を残そうとすれば


わけもなくかけたはずである。


 


しかし、彼らにとってはよく生きることが問題であり、


著書を書くというなどということは、二の次、三の次のことで


あった。


 


たとえば、プラトンやパウロは彼らの弟子であったが、


この弟子たちは、彼らの師の言行を著書に定着せしめよう


とした。もちろん彼らは相当の人物であったが


 


やはり、その師には及ばない。


 


以上、梅原猛詩の「自然と人生」より抜粋です。


 


それでも、書くのは梅原氏は、


 


彼らのように立派な人生を生きられないコンプレックスや、


自己弁明があるからではないかと思う。と言っている。


 


それでも、書くのは、


ブログ主諸氏としては、共感して欲しいという願いがあり、


共感してもらえるのではないかという期待があるのだろう。


 


とらのこどもは、そうなんです。


共感し、共鳴し、出会い、話し、響きあいたいと思ってます。


 


コメント歓迎です!!


大阪で逢いましょう。ホントです!!


 


記:とらのこども


 


 


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by toranokodomo | 2013-10-20 21:11 | コラム  

「書くことがない。。。」

毎日、毎日、同じように起きて、


毎日、毎日、同じように仕事をして、まっすぐ帰宅する。


 


新聞を読み、図書館で借りた本を読み、


家の近くを散策。ときどき、山へ登りに行くのみ。


 


田舎の老親の病気はどうかと気に病み、電話をして、


もう歩けないというので、大阪へ来てはどうかと言う。


 


もう何年、同じ話しをしただろう。


ずっと、どうどうめぐりをしているだけみたいだ。


 


毎日、毎日、同じように生きている。


毎日、毎日、同じことに気をくばり、ひとつひとつのことを


 


大切にしながら、一所懸命に生きている。


それでいいと、自分で自分を納得しているけれども、


 


ううーーん、ブログに書くようなことは無いなあ。


ありがたいような、そうではないような。


 


いやいや、これこそ平穏無事ということか。


 


そう結論をつけて、やっと落ち着いた。


PCを前に、ずずっと、熱いお茶をすすっている。


 


記:とらのこども


 


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さて、今日も今から金剛山へ登りに行くとします。


老親の病気平癒祈念、子どもの大学合格祈念の登山。


 


と、それは口実。汗かいて登る山は気持ちいいんです。


お父ちゃん、行ってくるで。今日はどうや、元気か!?


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by toranokodomo | 2013-10-12 07:31 | コラム  

「旅は道連れ、世は情け」

人生は旅路だと、誰かが書いていた。


50歳を過ぎて、そうやなあと漠然と思っています。


 


誰かがそばにいてくれる。そのありがたさが沁みる。


その誰かさんのため、できる限りのことをしたい。


 


ずっとずっと一緒にいたいと思う。


それが、いちばんいいんだと思います。


 


 


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by toranokodomo | 2013-10-02 22:04 | コラム  

小鳥は生まれてヒナとなる

生きるということ。



生きると言うことは、いったいぜんたい、どういうことか。



小鳥は生まれてヒナとなり、親鳥からえさを与えられ、必死になって喰う。

いつかしら自分で飛び立つ日が来る。そして飛び立つ。



大空を飛び、えさを求め、愛をささやく。

そしてつがいを為し、次代へと世代をつなぐのだ。



本能のまま生きて、悩みも悲しみも喜びもないように見えるが、

懸命に、懸命に生きているに違いない。



生まれ、生きて、死ぬのだ。





人は、本能のままには生きられない。煩悩がある。

煩悩が身を焦がし、そのこころも、身体も、人生さえも、黒々と焼き焦がす。



人には、感情がある。泣いて、笑って、喜んで、憎み、妬み、嫉み、苦しむ。

それこそ人間だろう。それで良いのだ。



であればこそ、払える煩悩は払い捨て、ピュアな人生を送りたい。

生まれ、生きて、死ぬのだ。



泣いて、笑って、喜んで、憎み、妬み、嫉み、苦しんで生きるのだ。

思えば神様は人間を罪な作り方をしたものだ。



生きるとは、笑うとは、何かをするとは、、、。

ひとりでするのではない。誰かと何かをする、これを「する」という。



誰かと何かする。

笑う、誰かが一緒に笑う。

泣く、誰かが一緒に泣いてくれる。



死ぬ、誰かが泣いてくれる。

良い生涯であった。よく生きた。うれしくて泪が出る。



人には煩悩がある。だからこそ、誰かと何かをしないといけないし、

何かをしたいと、こころからそう思う。



だから誰かを愛することを生きるという。

とらのこどもの結論である。



記:とらのこども


 


 


 


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by toranokodomo | 2013-10-01 07:00 | コラム  

「上にあるもの、かくあるべし」

上にあるもの、下のものと才知を争うべからず。


 


と、これは源氏鶏太先生の言葉。


 


 


上に立つもの、下のものを優越感の餌食にするべからず。


 


上に立つもの、己が好みに合う者のみを用うることなかれ。


 


またさらに、己が好みにあう女のみを採用するなかれ。


 


と、これらは佐藤愛子先生のお言葉だ。


 


 


もうひとつ。わたしが求める上のものへのあり方としては、


 


上に立つもの、下には情緒あふるる「人」であって欲しい。


 


そして外には、厳しく、激しく、粘り強く。


 


勝負には勝たねばならぬ、なにごとも。


 


どんなことをしても!!!


 


記:とらのこども


 


 


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by toranokodomo | 2013-09-24 07:22 | コラム  

「破顔一笑」

  とはいえど ことばはなべて 届かざりき

  追憶にゆれ やがて沈みき




言葉は、簡単だと思ってた。

言葉は、明瞭だと思ってた。



でも、本当はとってとっても難しいんだって、そう思う。



伝えたいことを伝えるには、「うおーっ」と叫んだほうが、

もしかしたら早いのかも。



  機関銃のように言葉を使う人、

  ライフルのように一発の狙撃に賭ける人、

  麻薬のように睡眠薬のように言葉を使う人、



  本当にいろんな人がいる。



言葉じゃないんだ。

所詮、使う人なんだと、得心した。



記:とらのこども


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by toranokodomo | 2013-09-11 19:25 | コラム  

「百円玉」

昨日のこと、環状線に乗り換えて、んんっと思った。

お尻のしたに、ちょっとだけ違和感。



お尻を浮かすと、そこに百円玉。

一枚だけ、はだかでポロリ。



左隣りの60歳くらいのおじさんに聞いてみた!



「おじさんのじゃあ、ないですか?」

違うそうだ。



右隣りの70歳くらいのお母さんに聞いてみた!



「お母さんのちゃいますか?」

違うそうだ。。



お母さんの膝の上には、赤い財布。

「ちょうど、お財布持ってはるし、お母さんにあげる!!」



そう言うと、



「うちのちゃうねんけど、ホンマ??」

「朝から、うれしいわ!!」



お母さんは、財布に入れた。



次の駅で、降りたお母さん。



わたしと言えば、

お尻の感覚がまだまだ若いもんには負けん。。。。



などと、思って見送った。



記:とらのこども @再掲

 


 


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by toranokodomo | 2013-09-04 17:17 | コラム  

「冬の準備」

散歩する。


 


蝉の死骸が落ちている。蝉は地中深く、子孫を残して


死んだのだろうと、その骸(むくろ)をみて思う。


 


木々の中には、早くも葉を黄色くしつつある樹がある。


太陽の日を受けない葉っぱは早めに落とすのだろう。


 


夏の日の恩恵を、樹の中ぜんぶにため込んで、秋の


実りに、冬の備えに使おうとしているのか。


 


「人生には、たった二つの生き方があるだけだ。

 一つは奇跡などないかのような生き方、

 


 もうひとつは、

 まるですべてが、奇跡であるかのような生き方だ」

 


そう、アインシュタインは言ったそう。


 


蝉などの昆虫、街路樹などの木々の生き方はどっち


だろうと、ふと思った。


 


人間様は不自由だ。歩けるし、話せるし、仕事という


日々の縛りがあるし、友人があり、家族がいる。


 


夏の日の恩恵を、自分のなかにため込んで、秋の


実りに、冬の備えに使おうとしているのか。


 


「百日の夏」が過ぎようとしている今だから、


 


そして、


人生の「百日の夏」が過ぎようとしている今だから、


散歩ついでに、いろいろ想う。ぐる・ぐる・ぐると思う。


 


ただ私の場合は、


ぐる・ぐる・ぐると思うだけ。思い悩みはしない。


 


汗いっぱいかいて、帰宅して、シャワーを浴びる。


氷をいれた、冷たいお茶が体に沁みとおる。


 


甘露~。


 


記:とらのこども


 


 


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by toranokodomo | 2013-08-31 11:11 | コラム  

生きる杖を求めて。。。

ブログなどをさまよっていると、これは!という

言葉に出会うときがあります。





そういうときは、実は、なにかしら傷ついていて

救いを求めて右往左往しているのかも知れません。





 生きるということは、それだけ暴力(ことばの)

 に傷つけられたりすることなのでしょう。


 言葉により励まされもするし、

 言葉により意気消沈させられもする。


 そして、行きずりのなにげない言葉に、

 自分なりの意味を見い出し、


 それを頼りに困難な人生を歩いてもいけるのです。

 (以上、多川俊映さんのことばより)





気付きは感性です。

そして救いでもあるのでしょう。





記:とらのこども  http://plaza.rakuten.co.jp/toranokodomo/


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by toranokodomo | 2013-08-28 23:14 | コラム