カテゴリ:日本の歴史( 36 )

 

日本の岐路

現代、日本のもっとも大きな問題、大きな岐路となるべき問題は、
ジェンダーフリーやフリーセックス、男女共同参画などの男女の
関係の破壊工作に耐えられるかどうか。

男女関係の倫理こそ、社会道徳のもっとも大元をなすものですが、
日本を破壊しようとする者どもは、男女関係を乱れさせ、男性も
特に、女性の品位を下落させることを通じて、日本の社会を徹底
して破壊しようとしているのではないでしょうか。

女性の下落は。男女の下落、社会の下落、人類全体の下落&破滅
への道だと思います。なぜなら、あまりにも当然のことながらも
人は女性からしか生まれないし、母親により育てられるからです。

わたしは日本の女性の品位の高さ、高潔さ、あふれる母性、また
正義を見抜くちからを信じています。日本の女性は、かならずや、
良人には素晴らしい仕事をさせ、こどもを立派に養育し、次代に
連なるこの国の隆盛を約束する存在だと心より信じています。

だから、そういう立派な女性たちのためにできることは、ぜんぶ
してあげたい。こころより応援しています。皆さんに、幸多かれ
と祈っています。

記:とらのこども



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by toranokodomo | 2014-07-16 05:18 | 日本の歴史  

歴史散策 : 神社と古墳と、御獄(うたき)の雰囲気

ルーツを知りたいというか、ただの知的好奇心なのか、
理由はともかく、むかしから歴史が好きなとらのこどもです。


この頃は、ネットサーフィンでいろんなサイトへ飛んで行き、
書籍紹介、発表論文、それから掲示板なども見ます。


とても面白く、いろいろな皆さんの意見を拝見しています。
でもやっぱり、これと思う書籍を買うのがいいですね。


ゆっくりじっくり読むことができます。


2年も前だと思いますが、夏休みのある日、子供と一緒に

近所の古墳と神社にぷらり散策に出かけました。


創立年代は不詳なんですが、境内に6世紀の古墳があって、
加賀国白山のご分霊を勧請した近郷無双の古社。


神社境内だけでなく直径10mの円墳石室も見学できます。


た、神社の1万坪の敷地全体が、おおきな円墳のように
なっていて、社の裏手をえっちら山頂まで行きました。


そうすると、古い木々のなかを抜けて、
太陽の差し込む直径7,8mほどの頂上に到着するんです。


なんともいえない静寂と、眩しい太陽の光。
まんまる広場が世間の喧騒とは遠く離れた雰囲気を漂わす。



「なんにもないじゃん!!」と子供が言います。


「なんにもないのが、いいんだよ」と答えます。


そこは、まさに御獄(うたき)の雰囲気なんです。
木々に囲まれた、日の差す広場。


白山宮の主祭神、ククリヒメの神は、その名の通りすべて
のものを括り結び合わせます、古語に産靈をムスビと言う
ように、すべてのものを産む力(生命力)です。

子供がそれを感じたかどうかはわかりません。
休日のちょっとした歴史散策でした。


記:とらのこども(2009,07記事の再掲)


 


 皆様もご近所の神社へ、ぷらりと行ってみてはいかがでしょう。
 何か感じるものがあると思います。とらのこどものお勧めです。




 


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by toranokodomo | 2014-05-16 22:03 | 日本の歴史  

「ちょんまげ」の話し

梅原猛さんによれば、



「ちょんまげ」は、鳥のとさかである。と云います。

同じく、振袖の長い袖の部分は、鳥の羽なんだそう。



遠い遠いその昔、



米作りとともに伝わった、鳥を崇拝する信仰が、

そういう風俗となって、伝わっているのだそうです。





そういえば、



青い空を見て大きい雲を見て、美しいと思う日本人。

大空を渡る鳥たちを見て、じっと見続ける日本人。



無意識のうちに、それを肯定する私がいます。





欧米の人には、雲が好き、白い雲が美しい!?

何、それ??? という感覚らしい。



えっ、人類共通の価値観ちゃうの?って、

それを聞いたとき、少し驚いた記憶があります。





「白鳥は哀しからずや空の青

   海のあをにもそまずただようふ」若山牧水




この短歌には、なぜだか心がふるえます。

それは、「鳥の詩」だからだと思います。



皆さんは、いかがでしょう?

ぷるぷるぷるって、ふるえますか?



記:とらのこども





  ちなみに神社の鳥居は、結界です。

  この話しは、また後日、ご紹介したいと思います。



 


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by toranokodomo | 2014-01-20 20:30 | 日本の歴史  

「日本人の持つ雰囲気」

日本人の雰囲気とは、独特なものがあるような気がする。



良く言うならば、若者たちは幸せそうな雰囲気を持っている。

屈託が無い。やさしい。親切である。相手を慮る気持ちをふんだんに持っている。



悪く言うならば、こどもである。

苦労を知らず、苦しさを知らず、あまりにも無責任な感じがしないでもない。



しかし、彼ら彼女らだけでそういう雰囲気を作ったのではない。

お父さん、お母さん、そしてご先祖様からの積み重ねが、今の若者の姿だろう。



ある種、こうあって欲しいという理想形なのだ。



さて、日本人の良さとは「やさしさ」にあると思うのだが、

日本人の凄さとは、いざというときに発揮されるのではないかと思っている。



いざというときには、180度大転換。

そこまでするのかというほどの強靭な強さ、粘りを見せる雰囲気がある。



いつもは、オブラートに包み込んでいるだけだ。

そう信じている。きっとそうであるに違いない。



今日のアメリカ合衆国が世界中からあらゆる人種を受け入れて成立しているように、

千年、二千年ももっと前から、日本はアジアのアメリカ合衆国だった。



いろいろな地から人々が移住してきて、村を作り、

いろいろな地へ出て行き、また戻ってきた氏族もあるのだろう。



そこには衝突もあり、協力もあり、

長い長い年月のなかで、いつか寛容しあって、溶け合ってきたのだ。



数千年の歴史をへて、わたしたちがいる。

無意識の思念のなかに、数百代にもわたるご先祖さまの思念が宿る。



であればこそ、わたしたちは日本人なのである。




記:とらのこども


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by toranokodomo | 2014-01-16 20:51 | 日本の歴史  

再掲 「中・露の東進、日本の課題」

━━━━━━━━━━━━

中・露の東進、日本の課題

━━━━━━━━━━━━





      宝珠山 昇



基本的補助線 : 世界は、欧米の列強による分割支配・搾取が今も続

いている、との補助線を引いて、眼に入る諸々の事象の一部を見ていま

す。(省略)



米国の基本的戦略 : 米国の基本的戦略は、世界各地域の潜在的覇権

国を競わせて、時期を見計らい、介入して、世界の覇者の立場を維持・

強化することと言えましょう。例えば、(省略)



中国の基本的戦略 : 前世紀の末期から、こうした米国を中心とする

欧米勢力の世界支配に抵抗しているのが、中華人民共和国と見ています。

米中冷戦とも第4次世界大戦とも言えるものです。これが現在の世界の大

きな潮流だと言えましょう。(省略)



軍事、政治、経済、資源、巨大人口、無法行為、などあらゆる力・手段

を、各地域の状況に応じて注ぎ込んでいます。



この戦略の邪魔になるのが、台湾、南西諸島などが自由に使えないこと

です。その対日姿勢には、諸民族が激しく争い、易姓革命を繰り返す中

で養われた非道な国民性を露わにするとともに、特に日清戦争敗北以来

の復讐の怨念をこめている面が否めないと思います。



露国の基本的戦略 : ロシアは復活を狙っています。大西洋、インド

洋、太平洋への安定的交通路等の確保が、変わらない基本的戦略でしょ

う。



今は、-(省略)-東側出口の開発・振興に力点を置いているようです。

この点から北方領土の価値は、太平洋などへの交通路やオホーツク海の

管理の要衝として、きわめて高いものです。加えて、その対日姿勢には

日露戦争敗北以来の復讐の怨念がしみこんでいることを忘れてはならな

いでしょう。



日本の基本的戦略環境 : 日本は、こうした三つの大国の狭間に位置

し、海洋に囲まれ、資源は乏しく、工業や技術で先頭を走って、自由貿

易の振興により、自由民主主義国として、独立・安全・繁栄を確保しよ

うとしています。



しかし、日清・日露戦争の勝利、朝鮮併合、太平洋戦争敗戦、に伴う後

遺症を抱えて、これを克服できないで、喘いでいるように見えます。

(省略)



領土問題等の根本的起因 : 北方領土、竹島、尖閣問題などの根源は、

サンフランシスコ平和条約や日米安全保障条約の運用過程での、日本の

姿勢・対応の弱さにあると考えられます。



北方領土について見ますと、日本は、千島列島や南樺太などを、サンフ

ランシスコ平和条約ー(省略)-において、放棄しています。(省略)



ソ連は、(会議に出席はしたが)サンフランシスコ平和条約に調印して

いませんので、千島列島、南樺太などがソ連に帰属することにはなって

いません。即ち千島列島、南樺太などは、ロシアが不法占拠しているこ

とになります。



竹島問題は、江戸時代初期(1618年)に既に領有権を確立していました

が、1952年1月18日、サンフランシスコ平和条約発効の直前に、韓国の李

承晩大統領がいわゆる「李承晩ライン」を設定し、この中に竹島も含ま

れていたことから始まっています。(省略)



1965年6月日韓基本条約が締結され、国交正常化により、李ラインは廃

止されました。このとき「竹島は棚上げ」との密約がなされたが、その

後、韓国がこれを破り、日本の抗議や提訴を拒否し、現在に至っていま

す。



尖閣諸島は、1885年以降、再三にわたり現地調査ー省略)ー確認の上、

1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って正式に日本

領土に編入したものです。(省略)以上の事実は、日本領土しての尖閣

諸島の地位を明瞭に示しています。



中華人民共和国政府などが、いわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠

等として挙げているものは、いずれも尖閣諸島に対する領有権の主張を

裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。



米国の仲介への期待 : 米国は、ー(省略)-公には中立的立場をとっ

ています。しかし、これらの「火種」を、日本等の動向を自国に有利に

導く材料として、活用することを当然考えるはずです。



「米国は尖閣問題を日中の接近を牽制する材料にしている」とか「領土

問題の顕在化の裏に米国の諜報機関が絡んでいる」などとする噂も、為

政者は心に留めて対応を考えるべきでしょう。



領土問題などを国際司法裁判所で解決しようとする主張は以前からあり、

試みられたこともあります。しかし、日本が提訴するだけでは「負ける

ことが明らかな裁判に応じる国はない」ため、実効のある解決策にはな

りません。



米国は、ヤルタ協定、サンフランシスコ講和条約、日本占領などの主役ー

(省略)-この米国が、日本の提訴に応じて国際司法裁判所で平和的に

解決するよう関係諸国に働きかけるなど、仲介などの労をとれば、これ

らの諸問題は前進できると思います。



米国をこの方向に動かすためには、日本自身が国を守る強い決意を具体

的な行動を以って内外に顕示することが不可欠であると予てから考えて

います。



日本の防衛体制の選択肢 : 日本が、このような中でこれらの後遺症

を治癒し、世界に誇れる数千年の輝かしい伝統を継承した日本を再生す

ることができる安全保障体制の選択肢は、ー(省略)ー残されているの

は、自由主義諸国、特に米国との同盟です。



大多数の国民の願いは、米国への依存度を緩和し、自主・積極外交を展

開し、ならず者(今の日本から見れば中国、北朝鮮、韓国、露国でしょ

う)の恫喝に会っても屈しない物理的にも精神的にも強靭な国を再建す

ることでしょう。



これらを達成するためには、(省略)国防体制を充実する強い覚悟が必

要であると考えています。



日本が非核三原則の撤廃の論議を真剣に行なえば、米、中、欧、露、南

北朝鮮の姿勢は、劇的に変化し、日本をめぐる景色は一変するはずです。

(省略)



米国は、ー(省略)-勢力などの台頭に対応し、自国の負担を軽減する

ため、 ー(省略)ー相応の協力・負担を要請し続けるでしょう。TPPの

推進、太平洋重視戦略の発表、海兵隊のオーストラリア駐留、オスプレ

イ配備などその一環でしょう。



なお、MV-22オスプレイは、回転翼機と垂直離着陸やホバリングの機能と、

固定翼機の速度と航続距離を持ち合わせ、数々の試験飛行などによって

安全性が確認されている航空機です。-(省略)-この安全性に疑念を

呈したり、配備反対行動をしている人々の中には、別の意図を持ってす

る人も沢山いるはずです。



防衛体制改革の主要課題 : (省略)ー憲法改正論議と並行して、現

行憲法下でもできることを着実に実行して、日本国を防衛する決意を内

外に明示することが肝要であると考えます。



 (1)スパイ天国から脱し得る機密保全態勢を整備することです。防

衛・外交政策などには機密情報が欠かせません。(省略)



 (2)要員と装備と訓練の拡充、特に侵略行為に対して反撃できる装

備を整備する必要があります。具体的な検討を専門家に命じるのがよい

でしょう。10年来の防衛費の減少に終止符を打ち、静かに着実に増加さ

せてゆくのが大人の対応でしょう。



 (3)集団的自衛権行使態勢を整備し、米国や東南アジア諸国等との

協力態勢を充実することです。(省略)現在の姿勢では、どこの国とも

真の同盟・互助・信頼関係は築けません。



 (4)拡散を続ける核兵器への対応態勢を充実する必要があります。

少なくとも、非核三原則の見直しを決議すべきだと思います。



 (5)日米防衛協力態勢の充実には、基地の安定的確保は不可欠です。

これが崩れれば、日米安全保障体制も核の傘も崩壊します。

 

 (6)防衛装備品の国産供給体制の向上も欠かせません。これは科学

技術立国の基盤強化、経済の活性化などにも役立つものです。



 (7)自衛隊は実戦経験がないので、これを米軍に学べる態勢を強化

する必要があります。機密情報保全態勢の充実はこのためにも有用です。



感情に流されない原発論議を (省略)



皆さんの賢明な行動に期待 : これらを遂行するためには、自己や選

挙区の利害に敏感で、秘密保全能力に難点がある政治家の主導では限界

があるように見えます。



自己や地域の利害を離れて、国の独立・安全・繁栄を中核価値として働

く、困難な国防・基地行政に専念する人材の育成・充実が必要だと考え

ています。



しかし、どうしたらこれらの目標を達成できるかの方法論については、

皆さんの賢明な行動に期待することのほか、解答を見出せないでいます。



東南アジアでは、「日本に手を出した国は亡ぶ」と信じている人々もい

るそうです。これは、次のようなことを観察した人々の感想なのかもし

れません。



アジア大陸を席巻した元帝国は、-(省略)-鎌倉幕府の日本に敗退し、

それがもとで元帝国は明に亡ぼされています。



明を亡ぼした清国は、(省略)日清戦争で敗れ、それがもとで、日本に

亡命し学んできた孫文などの辛亥革命により滅ぼされています。



ロシアのロマノフ王朝も、(省略)日露戦争を起こして、日本に敗退し、

やがてロシア共産革命で亡んでいます。欧州列強も(省略)。米国も

(省略)



今日日本に降りかかっている困難を、皆さんの力を結集し、これを克服

し、伝統を賢く継承し、日本に手を出した国などを改心させ、自然と共

生し、独立度の高い、安全で、繁栄を続ける日本が再生されることを希

望してやみません。(ほうしゅやま のぼる)



日本郷友連盟 特別顧問



(2012年9月初旬の講演要旨)

全文は、次のアドレスをクリックしてご覧いただけます。

http://www1.r3.rosenet.jp/nb3hoshu/CyuRoTousinNitinoKadai.html


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by toranokodomo | 2014-01-13 13:27 | 日本の歴史  

長野県、歴史の旅「八ヶ岳」

ご当地ネタ。今回は、信州です。

ちょっと変化球で、歴史の旅「八ヶ岳」でご紹介いたします。



信州は、皆さんご存知。素浪人さんの故郷です。

http://plaza.rakuten.co.jp/kamsahamnida/





まずは、八ヶ岳神話から。



「八ヶ岳には「富士山と背比べをして勝利、しかし富士山に蹴り飛ばされて

八つの峰になった、という神話があります。(「蹴り飛ばされた」の部分は

その他にも説があるんです。例えば、背比べの際に用いた筒、すなわち富士

山と八ヶ岳との間にかけて水を流し、どちらに流れるかを調べるのに用いた

筒を持って富士山が八ヶ岳を叩いたなど)。



また、同神話では蓼科山は八ヶ岳の妹で、八つの峰になった八ヶ岳を見ては

泣いて、それが川になり溜まったのが諏訪湖とされています。



この話には、すべてが嘘ではなく、もともと富士山よりも高かった八ヶ岳が

噴火、あるいは地震によって崩壊し、現在の形になった、という解釈がなさ

れているとのこと。



以上は、ウィキ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E3%83%B6%E5%B2%B3

 


b0314227_2151254.jpg


 


この八ヶ岳周辺には、縄文時代の遺跡が多く、非常に秀麗な縄文土器が多数

見つかっています。それらにより、縄文人の楽園だったのではという説がある

くらいです。今よりもっともっと暖かかかった縄文時代において、高原の気候は、

ずいぶん住み良かったと思われます。水も豊富、温泉もあったでしょう。





以下は、フィクションです。



権現岳の桧峰神社には八雷神(やいかづちのかみ)を祀る。

古代には、八ヶ岳そのものがイザナミ、または黄泉と考えられていたのでは?



雷神は蛇や龍のイメージにも通じるが、火山噴火の時にも目撃された可能性

があります。それは火山雷(かざんらい)という、水蒸気や火山灰が噴きあ

がる際の摩擦で生じる電気で、大きな噴煙にまとわりつく。それはちょうど

巨大な蛇が群がりつくように見えると。



実際に八ヶ岳は、かつて富士山以上の4000mを越える古阿弥陀岳時代が

あったらしい。約20万年前のことだ。その後、大噴火のため頂上が吹き飛

んで、低くなり、ギザギザの低い山になってしまった。



しかし、そんな大昔のことが伝説に残るはずがない。

ならば、もっと後の時代に誰かが目撃したことになる。。。




888年、八ヶ岳は大崩落を起こしているが、その大崩落がそれ以前の噴火

の痕跡を消してしまっているとすれば、例えば4千年前の縄文時代に起きた

かもしれない噴火を。。。





日本書紀には、こうあります。



「時にイザナミノミコト、脹満れ太高へり。(はれたたえり)

上に八色の雷公あり。(やくさのいかづちあり)

イザナギノミコト驚きて走げ還りたまう。(にげかえりたまう)

この時に雷等みな立ちて追い来る。(いかづちどもみなたちておいくる)」



これは、八ヶ岳の大噴火、大火砕流、そして立ち上る噴煙に巨大な蛇が

群がりつくように見えた雷の記録ではないでしょうか。。。



「時にイザナミノミコトの曰わく(のたまわく)

愛しき吾が夫君し(うるわしきあがせのみことし)

かくのたまわば、吾はまさに汝が治す国民(いましがしらすひとくさ)、

日に千頭、縊り殺さむ。(日に千人、くびりころさむ)」



「イザナギノミコト、報えて曰わく(のたまわく)、

愛しき我が妹し(なにものみことし)かくのたまわば、

吾はまさに日に千五百頭、産ましむ。」



これらから、縄文人を育んだ女神”八ヶ岳”が大噴火で”死神”に変り、

それが黄泉の国伝説になったのではないか!!4千年前の八ヶ岳噴火の

証拠は無いけれども、神話の起源はおそらくそこだろう。



以上は、「宗像教授異考録」出版社:小学館、著者:星野之宣より。

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refISBN=4091821936

参考:八ヶ岳総合博物館’(茅野市)

http://www.city.chino.lg.jp/kbn/07140500/07140500.html





約2万年前ころ黒耀石の石器を使った縄文人が現われ、歴史を彩った地。

それが南信州。日本のフォッサマグナ(大地溝帯)縄文人の暮らしぶり

はどうだったんでしょう。縄文から古墳時代へ続く信濃の歴史。



諏訪湖畔の温泉につかりつつ、そんな想像はいかがでしょう?



これからスキーに良い季節です。


信州には、白馬を中心にしていっぱい通いました。



若かったあの頃。。。

いやいや、今も若い。まだまだこれからだ!!おーっ!!



記:とらのこども



ps 長文になってしまいました。もし、最期まで読んでいただけまし

たら厚く感謝申し上げます。信濃は大和朝廷時代の旧国名ですが古代も

「シナノ」という地名だった由。なんとも歴史を感じます。

 


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by toranokodomo | 2013-12-13 17:15 | 日本の歴史  

「字音(じおん)」

漢字の読み方、音じ方を「字音(じおん)」というよし。


まず、日本語の字音。


 


いうまでもなく、日本漢音には、呉音と漢音があって、


最初、呉音が渡来した。たとえば、、


 


「正月(しょうがつ)」という。これは呉音。


(漢音なら、むろんセイゲツとなる)


 


「元旦」も呉音で、ゲンタンとは言わない。


(ただし、元日(ガンジツ)」といったときは、呉と漢が混ざる)


 


「明けの明星(みょうじょう)」も呉音。


 


大阪に明星(めいせい)高校というカトリックの学校があるが、


メイセイは漢音である。


 


明治のキリスト教は、呉音を嫌った。


 


理由は、呉音が主として仏教経典の音で、


「坊さん読み」ともいわれていたから。。。。


 


このため、キリスト教は徹底的に漢音を用いた。


 


「聖書(せいしょ)」は、呉音ならショウショだけれども、


もちろん、漢音読みでセイショ。


 


関西(カンサイ)の「サイ」は、呉音である。


 


大阪の私学の関西大学は、土地の慣習音どおり、


カンサイ大学だけれども、


 


キリスト教系の関西学院大学にかぎっては、


呉音を嫌って、カンセイという。


 


なお、呉音の呉とは、揚子江下流の地域を指す


言葉で、必ずしも、呉の国ということではない。


 


以上は、司馬遼太郎「中国・閩(びん)のみちより。


 


とらのこども


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by toranokodomo | 2013-12-02 06:25 | 日本の歴史  

神との交流、ウッドサークル

真脇の高倉神社は、能登半島の先端にある須々神社の高倉宮から

その分霊を迎えて祀った神社であると、寺の由緒書にある。



須々神社は、イルカは神の使いであると考えて、捕らえることも

食することも禁じていたのに、高倉神社は「高倉の神はイルカを

好み給う」と言い伝え、イルカ漁の守り神になっている。



(特にシャチは海のカムイとして蝦夷の頃から神格化している)



北陸の古社である気比神宮もまた、イルカを食し、イルカを好む

神である。イルカとは、古くから、神の使いであり、神のくださ

れもの(注・おみやげ)だったのだろう。



(土産・みやげとは、神から 身や実をあげる が古意である)

(アイヌ語はミヤンゲ。天よりのミヤゲとしてもたらされる)



太古より真脇はイルカ漁の最良の漁場だった。徳川時代から明治

にかけても、イルカ漁は真脇の民にのみ許されていた。



真脇よりひとつ手前の宇出津では、イルカの肉はあんまり美味し

くはないし、漁師うちでは下の漁であるとされていたらしい。



ところが真脇遺跡が発見され、イルカ漁が非常にクローズアップ

され、宇出津の漁師さんたちが非常に驚いていると本にあった。



真脇遺跡は、縄文前期から縄文晩期まで、およそ四千年にわたる

複合遺跡であり、日本の古代を伝える超重要史跡だ。



この遺跡では、巨大な円形柱根群(ウッドサークル)と、おびた

だしいイルカの骨、能面に良く似た土のお面などが出土した。



特に巨大な円形柱根群(ウッドサークル)は人々を大きく驚かせ

た。その最大のものは、サークルの直径6-7mもある。



同じウッドサークルは、金沢のチカモリ遺跡、新潟の青海町寺地

遺跡などでも同様に見つかっている。



ウッドサークルの目的や、全体像はまだ確定されていない。その

大きな柱の上に屋根があったのか、人間が住んでいたのか、宮殿

であったのか、すべては謎のままである。



長くなるので結論を急ぐが、梅原猛氏は著書のなかでこう言う。



・柱は、人間と神との仲介者である。

・柱は、神の降臨、または人の神への祈りの発射台だった。

・人の祈りは、鳥のように天へと送り届けられる。

・ゆえに、今なお神社の門となる柱を鳥居というのだ。

・祭礼として、諏訪の御柱祭にその名残りがある。



天から、神から、ミヤゲをいただいた後には、

その返礼として、今度は人間がイルカを、鹿を、熊を、魚介類を

そのふるさとである天へ、供物をそえて送り届ける儀式をした。



それが、ウッドサークルであったという。



このウッドサークルは、古事記のイザナギ、イザナミが国産みの

ため、天の御柱を行き巡りて、麻具波比為む(まぐわいせむ)と



あった、天の御柱そのものだったのではないでしょうか。



わたしも著者と同じように思います。



記:とらのこども



(出典:日本冒険・異界の旅へ 梅原猛氏)

 


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by toranokodomo | 2013-08-27 17:13 | 日本の歴史  

転載 「古代出雲の秘密」  その2

 


 


 


スサノオの誕生・八雲の謎



スサノオについてこの本では、侵略者だ!として30ページに渡り説明しています。

渡来人でありオオクニヌシと敵対関係にあったが、記紀の作者が出雲親族と結びつける手段としてスサノオをオオクニヌシの父、又は祖神としたため両者の戦いをヤマタ大蛇退治の形ででしか描けなかった。

というわけでスサノオの説明を省く分けにもいかず、長くなりますが、記載したいと思います。

興味深いところもありますのでご覧ください。



古代出雲帝国に否定的な人でもスサノオノ命の存在は認めざるを得ないでしょう。

それは、「延喜式神明帳」(本には延喜神明式とあるのですが、この事かと?)

また、祗園社(八坂神社)・氷川神社の主祭神がスサノオであり、国内に広がりを見せているからでしょう。

スサノオの誕生を記紀ではこんな感じに書いてあります。

イザナミいる黄泉の国から逃げてきたイザナギは、九州の日向の橋という小さな瀬戸のほとりの阿波岐原で禊ぎ祓いをする。

この時、両眼からアマテラス大神とツクヨミノ命が、鼻からはスサノオノ命が生まれた。

所謂、三貴子の誕生である。

スサノオは「海原を治めよ」と命じられたがこれに従わず、連日のように激しく泣き青山を泣き枯らし河海を泣き乾すというありさまだった。

このため悪神が満ち満ち様々な災いが起こった。イザナギがその理由をただすと「イザナミのいる母の国、根之堅州国へ行きたい」と答えたのでイザナギは大いに怒って、「お前はこの国に住んではならぬ」と云って追い出した。



~(割愛)~



アマテラスのところに行きますが、結果、高天原を追放されます。



「草薙剣とオオクニヌシ」




老人夫婦と娘に会います、

夫婦はオオヤミツミ神の子アシナヅチとテナヅチで娘はクシナダ姫と名乗り「自分達には8人の娘がいたが高志(新潟)のヤマタノ大蛇に毎年一人ずつ食べられ今年は最後の娘の番です」という。

スサノオは身分を明かして娘を所望し、代わりに大蛇を退治しようと申し出た。

夫婦は喜んで同意した。

スサノオは娘を櫛に変えて自分の髪にさし老夫婦に酒を造らせ八つの樽に満たして大蛇を待った。

やがて大蛇がやってきて八つの頭で酒を飲み始めた。

物陰に隠れていたスサノオは剣で大蛇をずたずたに切った。

肥の川はその血で溢れ、真っ赤になって流れた。

尾を切ったときの剣の刃が欠けたので裂いてみると霊剣が出た。そこでスサノオは姉のアマテラスに献上した。

これが草薙の剣で皇位の御璽(みしるし)三種の神器の一つとされ、熱田神宮に祀られています。



八雲立つ




スサノオはクシナダ姫を妻とし出雲の須賀の地へ行き、「わしはここに来て心がすがすがしくなった」と言い宮殿を建てて住んだ。 (まるでオヤジギャグ)

その時、雲が立ち昇ったので、歌を詠んだ。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」



スサノオとクシナダ姫の間に生まれた子の六世の孫がオオクニヌシノ命であるとする。

(日本書紀では嫡子としている)



さて、この八雲立つ・・・・・どんな意味なのでしょう。

古事記ではこのように書いています。



夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁幑爾 夜幣賀岐都久留 曽能夜幣賀岐袁



日本書記ではこのようになっています。



夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐 菟磨語味爾 夜覇餓枳菟倶慮 贈廼夜覇餓岐廻



後生の学者は、この歌を結婚の為に新築する家の新室寿(ことほ)ぎの歌であるとし下記のように解釈した。



【漢文調訳】

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作るその八重垣を



【現代語訳】

盛んに雲が立つ 出雲の八重垣よ 妻を篭らせに八重垣を作る その八重垣よ



どうでしょうか、記紀に書かれた「夜久毛」や「夜句茂」が何故「八雲」になるのか?

この本の著者は疑問に思います。

確かに素人でも不思議に思います。



また、「日本書記」には「スサノオが須賀の地に立つと『雲が立ちのぼり』オオクニヌシの妻スセリ姫は云々」と記している。

「夜久毛」は八雲なら、その通に何故書かないのか?

また、「都麻」や「菟磨」についても「妻」と表記していない。

また、八つの雲をめでたい雲だとするが、雲が八重にでもなれば、瑞雲どころか凶雲のはずである。

※瑞雲=めでたいしるしの雲



サンカ族のこの歌に関する解釈はまるで違う



三角寛氏は富士山人穴ほか、十八ヶ所で「八雲立つ」の歌に関するサンカの伝承を集めてこう述べている。



サンカは不良分子を「クモ」と呼ぶ。つまり、愚連隊やデモ隊などの暴行者のことを彼らは「ヤグモノガキ」と呼ぶ。

その実、彼らの祖先も、穴居して反逆を繰り返していた。

天津罪、国津罪の代表者である、スサノオノ命一族によって平定されて、帰順した。

そのことを「ヤクモ断ち」といっているのです。

ヤマタ大蛇も群居していた土グモ、クマソもすべて複数の「ヤクモ」である。

このヤクモ征伐を学者たちは、ヤクモ「瑞雲」が立つことにしているが、彼らは云っている。

サンカは、婦女に暴行を加えることを「ツマゴメ」と言う。

また、「女(め)込めた」とか「女込んだ」などともいう。

この「ツマゴメ」も昔から彼らの得意とするとろであった。

それから、「ツレミ」(連身)の掟(やえがき)が出来て一夫多妻を禁じた。

それが、一夫一婦(つれみ)の制度(やえがき)である。



サンカは「八重垣の歌」を次のように解釈している。



ヤクモタチ(ツ)=ヤクモ(暴漢)断つ



イヅモヤヘガキ =平和を芽吹く法律



ツマゴメ(ミ) =婦女手込めに



ヤヘガキツクル =掟を制定し



コ(ソ)のヤヘガキヲ =この掟をこの守る憲法を






これが「一夫一婦」の掟(やえがき)である。

それで出雲族を誇示するサンカは自分達のことを「ヤクモ断滅(たち)」だと自称して誇っている。

彼らの「ヤクモ断ち」を「出雲憲法の喜の歌」としているのだ。





スサ族とスサノオ



スサ族



スサノオの別名を牛頭天皇(インド祇園精舎の守護神<除疫の神>)という。

「牛冠をかぶった貴人」の意味です。

「日本書紀」崇神天皇の条に「任那(みまな)がソナカシチを遣わして朝貢した。

※4~6世紀頃、朝鮮半島南部にあった伽耶諸国の日本での呼称。



 日本書紀では、4世紀後半に大和朝廷の支配下に入り、日本府と言う軍政府を置いたとされる。

 ※朝貢=外国人が来朝して貢物を奉ること。



垂仁天皇の条には「御間城(みまき:垂仁)天皇の世に額に角がある人が船に乗って越国(福井県)

の笥飯:けひ(気比)浦にやってきた。

そこで、この地を角館(つぬが:敦賀)と言う。

その人に何処の国の者か?と尋ねたら、こう答えた。

オオカラ国(任那加羅)の王子で、名をツヌガアラシト、別名をウシキアラシチカンキという。

とある。

ソナカシチは朝鮮語。 ソ=牛 ナカ=出て来る シチは尊称で「牛のように角の出ている貴人」

ツヌガアラシト=角がある人

ウシキアリ=額に角があること

「韓国史」の中で韓国の学者は、弁韓及び辰韓人たちが、かぶった冠の前面に角状のものがついているのを見てこう呼んだ。と述べている。

牛頭=朝鮮の地名で、ソシモリ(江原道春川村の牛頭州)という。

「日本書紀」にもスサノオがソシモリへ行ったことが記され、朝鮮の牛頭山には天主堂があった。

この神を祭神とする京都の八坂神社の社伝には、「斉明天皇の二年(656)新羅の牛頭山における、スサノオノ命の神霊を迎え祀る」と見える。

そして勧請したのは、遣唐使の吉備真備だとも朝鮮人だとも伝えている。

石見で「韓」または、「辛」と名のつく地名のところには、必ずスサノオ神話が伝承されている。

その子、イソタケルを祀る神社にも「韓」の字が冠せられている。

スサノオはアマテラスの弟として権威づけられたため、出雲人の大祖神のようにされてしまったが、出雲国風土記でもスサノオは須佐地方の一首長に過ぎない。

オオクニヌシとも血縁は無い。

「記紀の作者がスサノオに与えた演出はただ一つ! 出雲国造りのオオナムチのしゅうとになることだけであった」



まだ、記事の途中ですが、この記事は「謎の出雲帝国*吉田大洋著」から編集しています。

自分は、この本を読んで出雲神族の富氏との会話の中で、古代出雲の王朝が渡来族(天孫族)に侵略されて行く場面を読み出雲の本来の姿を表現したくて書き始めました。

しかし、長くなっており、詰めて書きたいのですが、詰めるとその理由がわからなくなったり証明が出来なくなったりします。

しかし、長文は本意ではありませんので、できるだけ短くしたいと思います。

ここで、渡来族とか天孫族とか書いていますが、日本人の成り立ちを考えれば、当然渡来人の集まりでもあります。

その流れは、多くありますが、次の機会に書きたいと思います。

また、神社を訪れれば天孫族も出雲もその神話や歴史上の人物が神として祀られています。

私自身は、批判も否定もしません。

古来からある神社・仏閣には、心から手を合わせるつもりです。



こんな私みたいな者が居るから、富氏は口外しなかったのでしょうね。

 




 


 


転載 「古代出雲の秘密」


http://sanpomichi114.web.fc2.com/izumo.html


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by toranokodomo | 2013-08-11 07:25 | 日本の歴史  

転載 「古代出雲の秘密」  その1

転載 「古代出雲の秘密」


http://sanpomichi114.web.fc2.com/izumo.html


 


 


大国主の直系が実在した



この本を知ったのは「記紀解体」近江雅和著の本の中で参考文献の中の一冊だった。

この本「謎の出雲帝国」(昭和55年)の著者、吉田大洋氏も言っているが、私自身も古代史への視野が広がり見方や考え方がが変わりました。

まぁ、私の場合は変わったと言う程知識は無いのですがね。

この本を読んで歴史の裏側をチョットだけ覗けたような気がします。

ブログの中でも何度も書いていますが、やはり勝者によって歴史はねじ曲げられたり、刷り込みされ、自分の解釈で固定観念を持ってしまいがちですね。



この本についてどこまで引用が可能か? いや引用自体駄目なのではと思いますが、概略だけではとても内容を伝えることは不可能と思い、一部著者の文を引用させていただきます。



さて、その富氏ですが、アラハバキの記事で多少触れましたが、女性週刊誌(女性自身)のシリーズ人間の中で「4000年のタイムトンネルに生きる男」元サンケイ新聞編集局次長

富當雄(とみまさお)さん当時67歳 。

この記事を見た、出雲古代史の研究をしている著者吉田大洋氏が富氏と会い質問に答えるという形で始まったのです。

著者はオオクニヌシの直系が実在し、それを伝承していることと、出雲の国ゆずりの話に及んだ時は鼓動が早くなり高まったと言ってます。

それではどのように伝承されて来たのでしょう。

日本の神話「古事記」は稗田阿礼(ひえだのあれ)という語り部が物語ったものを漢字で記録したものです。

和銅5年(712年)に漢字が輸入されてからは、語り部の存在は必要がなくなり消え失せてしまったようです。

しかし、この時代に4千年の歴史を文字にせず記憶の中に封じ込めて生きている人がいたのです。

その内容をカットしながらまとめてみます。

それは、富さんが16歳の時の事でした。

彼は父(大分地方裁判所の判事)の元を離れ、本家の富饒若(にぎわか)さんの養嗣子になり、最初の冬を迎えた12月下旬のひどく寒い夜だったそうです。





養父に風呂場で身を清めるように命じられたそうですが、その理由はいつにない形相の養父に尋ねることが出来なかったといいます。

全身を洗い清め水をかぶり上がると、白い麻で織った衣服が揃えられ、まるで埴輪などがまとっている古代服だったそうです。

養父に従って裸足で玄関へおりると、養母が祈りを込める目で彼を見つめ火打ち石を鋭くならし。

お供の下男がかかげる提灯の灯りをたよりに、出雲大社の東、宇伽山(うがやま)の麓にある出雲井神社まで約15分間、口もきかずに向かった。

ここには、富家の遠(とお)つ神租(かむおや)、久那戸大神(クナトのおおかみ)は、日本列島を産み出した伊弉諾・伊弉冊の大神の長男、つまり出雲王朝の始祖なのです。

社殿の階に葦で編んだ敷物が広げてあり、中央には塩が盛られ養父は左に16歳の彼は右に正座して相対した。

父が口をきった。

「これから語ることはわしが言うのではない。神祖さまがおっしゃるのだ。心して聞け。そしてしっかり覚えよ。いずれお前が子に伝えるまで、たとえ兄弟たりとも他言無用。命をかけてこれを守れ!」

この瞬間、彼は寒さにガチガチと奥歯を鳴らしていたのがピタリと止まり全身が緊張で熱くなり脳髄が研きあげられたかと思うほど澄みきった。



富さんは、4千年前からの口承伝承されてきた祖先の生きざまをこの夜から10年間に渡って連続反復して養父から聞かされたのでした。

それは、神と人とが対話する形式で語られ、質問は許されない。

質問を抱くなどもってのほか、養父の言葉をそのまま一語も洩らさず丸暗記するのです。

彼の脳裏にきざみ込まれた出雲王朝から現代に至るまでの富家の歴史は悲惨この上ない血みどろの物語だったのです。

そして確かにこれは、他人には絶対に語られない内容だった。

なぜならば、出雲族は天孫族(天皇家の祖先)と長い闘争のあげく、帝位を奪い取られて徹底的な滅亡の道へ追いやられたからだ。



その屈辱と怨念の歴史をどうして天孫族の支配が続く世の中で口外できるだろうか。

ただひたすら親から子へ子から孫へと語り伝えいつまでも忘れずにあれと願うほかはない。

しかも、この伝承者に選ばれた者は獣肉を口に出来ないそうだ。

また、自分の跡継ぎ以外は肉親であろうと敵だと思わなければならなかった。

いつの世でも親類縁者がもっとも危険な敵となるからだ。と富さんは言う。



何故、伝承したものを文章化しないのか?




富氏はこう話しています。

「文字はただの記号です、本当の感情を伝えることが出来るのは肉声しかない。 しかも、文章にして残せば、敵方に奪われ迫害され、その記録を焼かれ書きかえられてしまう恐れがある」



これは古事記・日本書紀にも通じることでしょう。

同じ日本の歴史であるべきことがこのもっとも古いとされる文献の中で食い違いを見せています。

つまり、作り話が含まれるというわけです。

古事記を要約した本を見ると神様の誕生は、あまりにも汚いものから出来ていたりします。

それはいずれまた話をしたいと思います。

話を戻します。



神話の「国ゆずり」の場として有名な稲佐浜に立った時、富さんはすざましい表情になったといいいます。

天孫族の大軍団から使者として来た武甕槌命が、この砂浜にホコを突き立て「否(いな)、然(さ)」

(イエス?か、ノー?か)と迫り、この談判で出雲大帝国の主、大国主命は降服を決意したという。

(地名の由来はこの意味なのでしょうか?)



富さんはここへ来ると血が逆流するという。 

「2千年前、ここで私の先祖が・・・・・・

私の先祖は、侵略者の目の前で抗議の自殺をしたんだ! ここでだ! ここで!」

大国主命から出雲国を奪った天孫族は大国主命の血族を完全に根絶する為、どれほど苛酷な迫害を繰り返したことか。

富家の先祖を祀った富神社が簸川郡富村にある。

その紋章は亀甲の中に大根が2本交差した図柄なのだがそもそも富家の紋章は亀甲の中にホコが2本交差したものだったそうです。

ところが平安時代(貞観2年)にホコを大根に変えさせられたそうです。

ホコは王権の象徴だからです。




大社の町の旧家では、富さんのことを「向さん」と呼びます。

実は紋ばかりか姓まで変えられて来たのです。

平安時代から明治維新まで「富」と「向」を11回も家名を変えてきたそうです。

敵が力や情勢によって流れに逆らわず生きてきたのです。

先祖の中には毒殺されたものが数名・・・つい数代前の当主は迫害から身を守る為に狂人の真似をしたといいます。



◎富家の伝承




著者が門外不出とされながら富氏から話を聞けたのは、著者が質問し富氏が答えるという形式なら許されるだろうと富氏が判断したことと、著者の誠意が通じたのでしょう。

そして、著者である吉田大洋氏なら天孫側に立って書かれた誤れる歴史を正してくれると思ったからだそうです。



富氏の正式な名称は。「富上官出雲臣財當雄」(とみのじょうかんいずもじんたからまさお)といいます。



出雲神族は、祖神の魂の具象化である勾玉を”宝石”(たから)と呼び、これを付すことのできる王家を”財筋”と称します。

つまり、上記した名前は出雲神族を統括する出雲臣、財筋の當雄を意味するのですね。

この「財筋」を称する出雲神族はわずかに十二軒だそうです。

いかに迫害が大きかったのかが想像つきます。

それでは、何故富氏が養子縁組をしたのでしょう。

富家の伝承は”財筋”の中で一番優れた青年を選んで本家に迎え入れ、語り継ぐのだそうです。

この4000年の伝承を10年もかかって丸暗記するわけですから賢い青年が選ばれるわけですね。



葬送制度(古墳では無い)

古代出雲帝國の否定論があるらしい、その理由は出雲に古式古墳の出現が4世紀半ばで、それ以前には巨大な国家は存在しないと考えているからです。



しかし、富氏の話でそれが解決しました。

出雲神族の葬送制度を知らない為の誤解のようです。

出雲人は高貴な人が他界すると、藤と竹で編んだ籠に遺体を収め高い山の常緑樹(檜・杉など)に吊るした。

つまり風葬ですね。

三年過ぎるとこれを降ろし洗骨し山に埋める。

そしてその木がご神木となり、山が神(祖霊)の座す磐座(いわくら)ととなったのはこのような背景があったのです。

岩石信仰も山岳信仰、または門松もその起源はここにあるのかと・・・

また、子供や妊産婦は石棺に入れ再生を希(ねが)って宍道湖に沈めた。つまり「水蔡」ですね。

古代出雲帝国に古墳が存在しないのは、今までの歴史家が知らなかっただけのことで、当たり前のことなのです。



また、サンカ(山窩)は出雲神族の諜報機関だったそうで、三角寛著「サンカ社会」でも明治7年頃までサンカ族の最高葬は、風葬であったとしているそうです。

※サンカ(ウィキペディア)



出雲神族は、御魂祭を大切にするが、遺体は醜悪な肉体の殻として忌み嫌い息を引きとりそうになると、親子であっても相対したりはしない。

死体に触ろうものなら相続権すら失うのである。

こうした習俗は現代の富氏にも引き継がれ葬式には絶対出ないといいます。



著者はいう、日本の学者は足をかけないで文献の検討だけで十分だとでも思っているのか?

神社を訪れ祭祀を調べれば古代史を解く何かが得られる。

例えば、出雲熊野神社の亀太夫の神事を見れば、出雲族はオオクニヌシの後裔の国造家のことだ。

などと馬鹿なことを言わないで済む。



これからの記事は、著者が富氏・天ノホヒノ命の後裔の北島氏、天ノヒコボの流れをくむという神床氏・物部氏の直系を名乗る神魂(かもす)神社、宮司の秋上(あきあげ)氏・テナヅチ、アシナヅチの末裔の須佐氏、などから足をかけて集めた伝承をもとに書かれたものです。



 


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by toranokodomo | 2013-08-11 07:25 | 日本の歴史