カテゴリ:宗教関係( 25 )

 

転載(再掲) : 祈りとは「生命の宣言」

筑波大学名誉教授・村上和雄 祈りとは「生命の宣言」である

2013.7.25 03:46 (1/4ページ)正論 産経新聞

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130725/trd13072503510000-n1.htm


(転載開始)

「祈り」は宗教が生まれる前から人類が続けている営みである。その祈りに病気を癒やし、

心身の健康を保つ大きな力が秘められていることが最近、科学的に解明されつつある。

(中略)


日本語の「いのり」という言葉の語源は「生宣り(いのり)」だと解釈されている。

「い」は生命力(霊威ある力)、「のり」は祝詞(のりと)や詔(みことのり)の「のり」と同じで、

宣言を意味している。だから、「いのり」は生命の宣言なのである。


 人生にはいろいろな悩みや難問が待ち受けている。そのように苦しいとき、人は「自分はめげずに

頑張って生きるぞ」と宣言する、それが祈り(生宣り)である。そうした「生命の宣言」をすると、

祈る人の遺伝子も活性化して、いきいきと暮らしていけるようになると考えられる。実際に、私は

「祈りが遺伝子スイッチのオンとオフに関係する」という仮説を、2002年に提唱している。


 まごころを込めて深く祈ることが、祈る人、祈られる人の遺伝子のスイッチを入れ、その思いが

天に通じたときに祈りはかなえられる、と私は思っている。


 ≪思いもよらない力を秘める≫

 時あたかも、世界平和のための祈りと治療における祈りの効果を描いた映画、「祈り~サムシング

グレートとの対話~」が、上映中である。この映画は世界各地の映画祭で賞を取り、国際的な評価を

得ている。祈りを含めた意識が人間に与える影響を科学的に解明しようというもので、科学者や、

医学者、ジャーナリストらが登場して、祈りの力を新しい視点からとらえようとしている。

「見る者の魂の奥から感動を湧き上がらせる力がある」とは、ある医科大学教授の同映画評である。


祈りは、自らの願望や懇願のためだけにあるのではない。感謝や愛、思いやり、従順、誠意、畏敬の

ためにも、人は祈ることができる。祈ることの効果の一つは、祈る人の心に新しい良いものを芽生え

させてそれを培うことにある。


例えば、希望の祈りとは、その希望の芽を祈りとともにだんだん大きく育てることである。


 個人の祈りや願いが天に通じるとき、心が落ち着き、心の中に中心軸ができて、ブレない生き方が

できるようになる。このことを人間は太古から直感していたのだろう。人は無力だから祈るのではなく、

祈りに思いもよらない力があるから祈るのだと思う。(むらかみ かずお)


(転載終り)


筑波大学名誉教授・村上和雄 祈りとは「生命の宣言」である

2013.7.25 03:46 (1/4ページ)正論 産経新聞

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130725/trd13072503510000-n1.htm


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by toranokodomo | 2014-07-10 23:29 | 宗教関係  

親鸞の言葉

親鸞の言葉に、弁円はとまどいをおぼえた。

「依頼祈願の念仏ではない、だと?

しかし、後生に浄土へいけますように、
お願いします。阿弥陀さま、念仏しているではないか。」

「そうではないのだ、弁円どの」

親鸞は膝をのりだして、弁円にいった。

「おすくいくだされ阿弥陀さま、ではない。

われらの念仏とは、自分がすでに救われた身だと気付いたとき、
思わずしらず口からこぼれ出る念仏なのだ。

ああ、このようなわが身がたしかに光につつまれて浄土へ迎えられる。
なんとうれしいことだ。疑いなくそう信じられたとき、


人は、ああ、ありがたいと、つぶやく。

そしてすべての人びとと共に浄土へ行くことを口々によろこびあう。
その声こそ、真の念仏なのじゃ。

そなたも、わたしも、身分の関係なく、修行も、学問も、戒律も、
すべてが関係なく、人はみな浄土へ迎えられるのだ。

地獄へ落ちたりはしない。そのことを確信できたとき、念仏が生まれる。

ただ念仏せよ、てゃ、それをはっきりと感じ取り、
ああ、ありがた、とよろこぶべし、ということなのだ。」


「信が先、念仏は後、ということでござるか。」

「念仏するなかで生まれてくる信もある、とわたしは思う」

弁円の体の奥深いところで、すこしずつ動き出すものがあった。
自分は今、とほうもない大きな転機にさしかかっている、と彼は感じた。

以上は、「親鸞」五木寛之より。




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by toranokodomo | 2014-06-25 22:51 | 宗教関係  

再掲:「悲しい気持ち」

仏教で言う「悲」とは、サンスクリット語で「カルナー」と言い、
ため息、うめき声のことです。

他人の痛みが自分の痛みのように感じられるのに、その人の痛みを
自分の力でどうしても癒すことができない、代わることができない。

そのことが辛くて、思わず身体の奥底から「ああっ。。。」という
呻き(うめき)を発する。その呻き声が「カルナー」です。

中国人は、それを「悲」と訳したんですね。


遠藤周作さんは、こう言っています。

「病気の人、悩みを持っている人の心の痛みや苦しみは、
それは他人に伝わらない。そして、この痛みは自分だけが感じて
いるんだと思ったとき、二倍も三倍にも大きくなっていくのだ」

孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできません。
そういうときにどうすればいいのか。。。

そばに行って、無言でいるだけでいいんじゃないでしょうか。
その人の手に、手のひらを重ねて涙をこぼす。

深いため息も、呻き声も、熱伝導の法則のように、
手の温もりとともに、閉ざされた悲しさや痛みが伝わっていく。

それしかできないし、それだけでいい。

いつかどうしようもなく悲しくなった時、もしそうしてくれる
人がいたならば、僕はしがみついて泣くだろうと思う。

今のこんな世の中だから、そういう宗教の復活に期待している
とらのこどもです。

誰かのために泣く。泣き続ける。
それはそれで、美しい世界のような気がするのです。

(以上の要旨は、五木寛之さん「他力」より)

記:とらのこども
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by toranokodomo | 2014-06-21 20:42 | 宗教関係  

最初と最後のあいだに

どのようなものごとも、自分に関することの、最初の最初は、

自分だけから始まるのやないかと思います。



そして、途中経過があり、沢山の人が関係してくれて、

いろいろやるから、いろいろあって、それなりに結果もでる。



それで、とどのつまり。

最後の最後は、自分だけでそのものごとは看取ることになる。




その覚悟のある人は、何をしても美しい。



自分は自分ひとりだけだとわかって大安心。

とすれば、ほんの少しでも関わってくれた人がいたとしたら

大感謝。合掌する他はなし。



気がつけばおかげさまの中で生きている。

否、生かされている。



ときどきは、合掌ついでに合唱も楽しい。

10時間分の言葉より、黙って隣にいてくれる温かさを!



  男は黙ってサッポロビール。女はどうすればよいか、

  これはとらのこどもはわからない。



  わかるのは、ひとの優しさは無限にある。ということ。

  拒絶しているのは相手ではなく、自分のときもある。



  何よりも、自分は自分の最高最大の応援団で。



  後はなるようになります。結果は所詮、他人の評価。

  そげんこつはどうでもよか。


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by toranokodomo | 2014-06-06 06:02 | 宗教関係  

「祈りを叶える!」

祈りの思いは、思っているだけではなかなか叶わず、

愛する思いは、相手に届かねばならないし、
祈りの思いは、神に伝えねばなりません。

この日本の地に、古くから伝わる神道の真髄こそは、
神との交信にあるのだと思われます。

そして稲作とともに鳥信仰の思想が日本へ入ります。
古い神道と帰化人たちの習合があり、

神道の中に、玉串奉奠(たまぐしほうてん)という
形で、今に残ります。

玉串とは、たましいのくしという意味です。

上野八幡神社:http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&biw=794&bih=592&q=%E7%8E%89%E3%81%90%E3%81%97%E3%81%A8%E3%81%AF&aq=4&aqi=g7g-s2g-c1&aql=&oq=%E7%8E%89%E3%81%90%E3%81%97

玉ぐしは、鳥の形をしています。
榊枝に紙垂(しで)を麻で結び、鳥の羽とします。

祈りは鳥の形となって、天へ駆け上がり、そして
祈りの思いは、神へ伝わり、叶うのです。

記:とらのこども



羽衣をまとった天女の話し、鳥の話しはまた後日。
(参考:異界の旅へ 梅原猛)

とりあえず、今日も金剛山へ登ってきます。
なにかに背中を押されて、はーはー、息をきらせつ、とにかく登ります。 


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by toranokodomo | 2014-05-11 08:23 | 宗教関係  

「キリスト教の話し」

「汝の敵を愛せよ。」「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ。」

これらの言葉の意味は、自分を傷つける人であっても
そのことから学ぶことが多いと言うことではないでしょうか。

傷ついて、恨みを持つのではなく。

その出来事から、自分を見つめ直す機会が与えられたと言うことです。
そこには、自分だけでなく神様の恵みが常にあることを感じるでしょう。

神に赦しを請う者を 神は許します。
救いを求める者を救ってくださいます。

以上の解説は、とある福音協会の説教です。


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本来の「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ。」という意味は、
全く違います。許しを請うているのではないのです。

闘いを挑めという教えなのです。

当時の風俗として、目下の者に対して手を出すときには、
手のひらではなく、手の甲で叩くのです。

手のひらでたたくのは、貴族など同等以上の立場の者へだけ。
例えば、奴隷やこじきなどを、手のひらで叩いたりはしません。

つまり、(手の甲で)右の頬を打たれたら、(手のひらで叩く
側となる)左の頬を出せ!!

オマエと俺は、対等である。平等であると挑発しつつ、
非暴力の闘いを挑めという教えなのです。


弱いものは虐げられるのみか、否である。
弱いものは下等劣等な身分か、否である。

尊厳を以って闘いを挑み、教えを守り、教えを拡げようという
厳しくも激しい、初期キリスト教の闘いだったのですね。

記:とらのこども


 


 


 


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by toranokodomo | 2014-04-26 07:25 | 宗教関係  

光りあれ!!


仏教では、「無明」がもろもろの迷いのもとというそうだ。

希望という光りを見失ったときは本当につらい。

どうしていいかわからない。

 

自分が、自分が、という心が無明へと突き落とすと思う。

自分はどうなってもいい。だれかの為に役に立ちたい。

そういう心が、光をともすのだと思う。

 

光りあれ!!

 

それは、目の前の、自分のとなりの人への慈しみから

はじまるものだと思います。ゴミだしはりっぱな行。

愛はこころではなく、具体的行為なんだ。

 

できることをする。それで生きていける。

だからわたしの灯台は、山の神さん。合掌。。。

 

記:とらのこども

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by toranokodomo | 2014-02-22 08:59 | 宗教関係  

「悲しい気持ち」

仏教で言う慈悲の「悲」とは、サンスクリット語で「カルナー」と言い、
ため息、うめき声のことです。

他人の痛みが自分の痛みのように感じられるのに、その人の痛みを
自分の力でどうしても癒すことができない、代わることができない。

そのことが辛くて、思わず身体の奥底から「ああっ。。。」という
呻き(うめき)を発する。その呻き声が「カルナー」です。

中国人は、それを「悲」と訳したんですね。
遠藤周作さんは、こう言っています。

「病気の人、悩みを持っている人の心の痛みや苦しみは、
それは他人に伝わらない。そして、この痛みは自分だけが感じて
いるんだと思ったとき、二倍も三倍にも大きくなっていくのだ」

孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできません。
そういうときにどうすればいいのか。。。

そばに行って、無言でいるだけでいいんじゃないでしょうか。
その人の手に、手のひらを重ねて涙をこぼす。

深いため息も、呻き声も、熱伝導の法則のように、
手の温もりとともに、閉ざされた悲しさや痛みが伝わっていく。

それしかできないし、それだけでいい。

いつかどうしようもなく悲しくなった時、もしそうしてくれる
人がいたならば、僕はしがみついて泣くだろうと思う。

今のこんな世の中だから、そういう宗教の復活に期待している
とらのこどもです。

記:とらのこども(mixiから転載)


  誰かのために泣く。泣き続ける。

  そういう気持ちのちゃんとある世界が、
  美しい世界のような気がするのです。


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by toranokodomo | 2014-02-16 09:42 | 宗教関係  

魂を浄化しましょうね

魂を取り出して浄める。

それが古(いにしえ)の巫女の術だったといいます。



この世のものは、

人も、動物も、木も、石も、四つの魂でできている。



神道のひとつの考え方で、

四魂(しこん)とはすなわち、



荒魂(あらたま)、和魂(にぎたま)、

奇魂(くしみたま)幸魂(さちみたま)の四つです。



これが揃って一霊となり、肉体に宿ったのが心。。。



荒魂(あらたま)は勇、和魂(にぎたま)は親、

奇魂(くしみたま)は智、幸魂(さちみたま)は愛



を司る。



これら四つの魂が正しく働いた一霊は直霊(なおい)

といい、人心は正しく保たれる。



悪行を行えば、四魂の働きは邪悪に転び、

一霊は曲霊(まがつひ)となり、人は道を誤ります。



簡単にいうと、魂(たましい)は良くも悪くもなる。

って話しですね。



魂(たましい)だけに因果を握られてたまるものか、

そんな因果は俺が断ち切ってやる!!



犬夜叉はそう言っていました。



(おおーっ、パチパチパチ!!)



漫画犬夜叉(高橋留美子作)より

 


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by toranokodomo | 2014-01-20 20:53 | 宗教関係  

「おみくじ」 大吉!!

役行者さんゆかりの、葛木神社でひいた私の御神籤は、


 


「いそしみし しるしはみえて ゆたかにも 


 黄金(こがね)なみよる 小山田(おやまだ)のさと」


 


とありました。


 


ありがたく承って、いま、家の神棚に鎮座しておられます。


 


御神籤は、ぐうぜんの神意(真意)と思って、1年間くらい


ときどき出してきて、眺めては戒めとする習いです。


 


皆さんは、どうしてらっしゃるんでしょうか??


 


記:とらのこども


 


 


 


ご挨拶)


今年も、自分のできる限り、世の為、人の為にいい仕事が


できたらいいなと思います。わたしにあたったおみくじには、


「「願い事:望みのまま叶う。人の言葉に迷うな。商売:利益


あり、進んで吉。恋愛:この人よりほかになし。大吉でした。


おみくじに負けないよう精進して、良い1年にしたいです!!



皆さま、旧年中、大変お世話になりありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


 


 


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by toranokodomo | 2014-01-04 20:46 | 宗教関係