小鳥は生まれてヒナとなる

生きるということ。



生きると言うことは、いったいぜんたい、どういうことか。



小鳥は生まれてヒナとなり、親鳥からえさを与えられ、必死になって喰う。

いつかしら自分で飛び立つ日が来る。そして飛び立つ。



大空を飛び、えさを求め、愛をささやく。

そしてつがいを為し、次代へと世代をつなぐのだ。



本能のまま生きて、悩みも悲しみも喜びもないように見えるが、

懸命に、懸命に生きているに違いない。



生まれ、生きて、死ぬのだ。





人は、本能のままには生きられない。煩悩がある。

煩悩が身を焦がし、そのこころも、身体も、人生さえも、黒々と焼き焦がす。



人には、感情がある。泣いて、笑って、喜んで、憎み、妬み、嫉み、苦しむ。

それこそ人間だろう。それで良いのだ。



であればこそ、払える煩悩は払い捨て、ピュアな人生を送りたい。

生まれ、生きて、死ぬのだ。



泣いて、笑って、喜んで、憎み、妬み、嫉み、苦しんで生きるのだ。

思えば神様は人間を罪な作り方をしたものだ。



生きるとは、笑うとは、何かをするとは、、、。

ひとりでするのではない。誰かと何かをする、これを「する」という。



誰かと何かする。

笑う、誰かが一緒に笑う。

泣く、誰かが一緒に泣いてくれる。



死ぬ、誰かが泣いてくれる。

良い生涯であった。よく生きた。うれしくて泪が出る。



人には煩悩がある。だからこそ、誰かと何かをしないといけないし、

何かをしたいと、こころからそう思う。



だから誰かを愛することを生きるという。

とらのこどもの結論である。



記:とらのこども


 


 


 


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by toranokodomo | 2013-10-01 07:00 | コラム  

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