人気ブログランキング | 話題のタグを見る

休日の暇つぶし(ヤスの備忘録)

ヤスの備忘録2.0 歴史と予知、哲学のあいだ


http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-267.html


 


次回のメルマガの予告



リモートビューイングを科学的に研究している数学者、コートニー・ブラウン博士は、「2013年6月1日」の光景を遠隔透視した結果を明らかにしている。世界の9地点におけるビジョンだが、ほとんどの地域では大きな津波と洪水が起こり、水没していた。



この原因は大きな小惑星が太陽に接近し、それが引き金となり巨大なフレアが地球方向に放出されることが原因だとしている。



ロシアに隕石が落下し、地球に小惑星が接近している。3月にも新たな小惑星の接近が確認されている。追加情報の掲載を求めるリクエストをたくさんいただいた。また、これらの出来事を受けて、コートニー・ブラウン博士はビデオで新しい情報を出した。それにたいして、ウエブボットプロジェクトのリーダー、クリフ・ハイもネットラジオで意見を出している。次回のメルマガでは、これらの追加情報を詳しくお伝えする。




今回の記事



アメリカの「財政の崖」の引き金が引かれ、強制的な予算削減処置が発動することになった。まずこれに関して簡単にコメントする。



次に、メルマガにも掲載したが、筆者が東日本大震災の約3週前に書いた記事を再度紹介する。2013年がどのような時期なのか知るのにちょうどよ記事なので、ブログでも紹介する。



「財政の崖」による予算強制的削減処置の発動



民主党と共和党の合意が期限中にできなかったため、3月1日、「財政の崖」による予算強制的削減処置が発動することがほぼ確実となった。本格的に発動すると、10年間で2兆1000億ドルの予算削減となる。これは毎年2100億ドルの削減だ。米国予算の5%の削減となる。



削減の負担がもっとも大きいのは防衛費で、毎年13%ないしは14%規模の大幅の削減になる。



米経済への影響も深刻だ。これが本格的に実行されると、約2%ほどのマイナス成長になるのではないかと見られている。



連邦予算がつかなくなる



アメリカの抱える問題はそれだけではない。周知のようにアメリカでは、米国債の発行上限を定めた「国債の発行上限」が存在しているが、この枠を越えて国債を発行するためには「債務上限引き上げ法案」を米議会が可決しなければならない。



いつものように、これを政局化した共和党の抵抗で法案の通過は難航し、やっと1月31日になって、3カ月分の予算をカバーするだけの上限引き上げが行われた。いま連邦政府の手持ちの予算と合わせると、これで5月19日までの予算の工面はつく。また、連邦政府がやりくるいすれば、8月までの予算は確保できるとしている。



連邦政府の閉鎖と米経済の失速



しかしもし、この最終期限を越えても上限引き上げの延長が実現しなければ、政府は予算を組むことができなくなるため、連邦政府の閉鎖という事態になる恐れも出てくる。



いま日本でもアメリカでも、この危機感が大きく喧伝されている。



このように、「財政の崖」による「赤字強制削減処置」による米経済の失速、ならびに連邦政府の閉鎖という事態にでもなれば、米国債の信用は下落し、それにより米国債の格下げなどという事態にもなりかねないと言われている。



連邦政府の閉鎖は頻繁に起こる



連邦政府の閉鎖などと聞くと驚くが、実はアメリカの現代史では比較的にしょっちゅう起こっている。「債務上限引き上げ法案」の可決は、かなり以前から民主党と共和党によって、相手から最大限の譲歩を引き出すための政治的な常套手段として使われており、さほど不自然なことではない。以下が近年に起こった連邦政府の閉鎖である。



1981年 米国連邦政府閉鎖

1984年 米国連邦政府閉鎖

1990年 米国連邦政府閉鎖

1995-1996年 米国連邦政府閉鎖



クリントン政権期の1995年から1996年にかけての米国の政府閉鎖では以下のような影響が出た。



・368の国立公園、国立美術館、博物館、科学館などが閉鎖

・パスポートの発給が停止し20万人に影響

・毒物処理機関の閉鎖

・社会保障給付や恩給の停止



一方、重要な政府機関の閉鎖は回避され、航空交通管制や郵便など重要な機関も閉鎖されなかった。(ウィキペディアより引用)



これを見ると、それなりに大きな影響があるにはあったが、米経済の失速に至るようなものではなかった。事実、1995年から1996年の期間は米経済の回復期と重なっており、景気はかなりよかった。



その意味では、たとえ連邦政府の閉鎖があったとしても、その影響はかなり限定的であったと見てよい。



予算強制削減処置の影響も限定的



では、いま引き金が引かれた予算強制削減処置の影響はどうだろうか?たしかにこれが全面的に実施された場合、その影響はかなり大きいと見なければならない。



しかし、実際の交渉の過程を見て見ると、民主党と共和党の合意は、予算強制削減処置の引き金が引かれた3月にも実現する可能性が高いと見られている。



それというのも、アメリカ人の市民生活に影響が出てくると、米国民の合意に抵抗している共和党に対する批判が強くなり、共和党は妥協せざるを得なくなるからだとされている。



いずれにせよ、予算の大規模な削減処置が実施される前に、両党の間で妥協が成立し、影響は限定的なものに止まると見られている。事実、そうなるだろう。



スクラップアンドビルドの国、アメリカ



このように、アメリカは連邦政府閉鎖だの、米国債の償還ができずデフォルトするだの、また予算の強制削減だの、政治的な対立が原因で政府が機能しなくなるぎりぎりまで追い込まれながら、寸前のところで危機を回避し、また成長するというパターンを繰り返している。



その意味から言えば、今回の大騒ぎもアメリカの歴史に埋め込まれた伝統的なゆらぎだと見た方がよい。3月を過ぎると妥協が成立し、何事もなかったような状態に戻ることだろう。



本当の危機は想定外の危機



「予算強制削減処置」や「債務上限引上法案」がよい例だが、想定できる危機は回避され、大事に至ることはない。したがって、「~のような危機が存在する。したがって、~という大変な事態になる」というような、既存の問題から危機を論理的に導き出すような予想は、ほぼ間違いなく外れる。



では、システムの崩壊の引き金となる本格的な危機とはどのようなものなのか?それは、このブログの記事やメルマガで何度も書いているように、だれも想定していないところで起こる「想定外の危機」なのだ。ここではこれを「ブラックスワン」と呼んでいる。



ブラックスワンの予測は大変に困難



だが、どこにブラックスワンが存在しているのか予測することは大変に難しい。それというのも、何度も書いている通り、ブラックスワンは論理的な思考の「外部」に存在し、理性的なアプローチの彼岸にあるからだ。



ブラックスワンとは集合無意識の変化か?



数々の歴史的な出来事を見ると、人々の集合的な感情が予想を越えて爆発し、コントロールできなくなることがしばしば起こる。戦争を求める国民の熱情を押さえ切れなくなった第一次大戦時のヨーロッパの政府、権力闘争の手段として毛沢東の主導で開始されながらも、コントロールの効かなくなった民衆のエネルギーが爆発した中国の文化大革命、チュニジアの野菜売りの青年の自殺がきっかけとなった「アラブの春」など枚挙にいとまがない。



もちろん、「アラブの春」が良い例だが、小さなグループのしかけた運動が巨大な社会運動に拡大するのを意図的に誘導する勢力は絶えず存在する。



だが、こうした勢力と言えども、社会の表面で頻繁に起こるどの抗議運動が、歴史を変えるような大規模な運動に拡大するかまでは予測できない。事実、米国務省の支援で「アラブの春」を仕掛けたベオグラードに本拠を置く組織、「CAVAS」は、これまで約50カ国で運動を仕掛けたが、実際に革命にまで拡大したのは数件にすぎないことを認めている。



民衆の集合的な感情は突然と高まり、荒々しい感情のエネルギーの渦となりながら、歴史の巨大な変化を実現してしまう。集合的な感情のうねりが個人ではコントロールできない。それは、それこそ集合無意識から突然と現れる荒々しい力ではないだろうか?



このブログをはじめたきっかけ



ところで、筆者はこのブログを2007年5月にはじめた。講演会などでは、「コルマンインデックスを紹介したかったのでブログをはじめた」と言っていたが、実はよく考えて見ると、そうではないことに気づいた。



筆者には特殊能力も霊感もまったくない。普通のオヤジである。飲み会の余興で手相を見る程度だ。



だが、2007年5月頃から、通常の意識では見ることのできないものかが、多くの民衆が共有する集合無意識で目を覚まし、我々の心の深層から意識や社会の表面に姿を現わしつつあるのではないかという予感が強くしたからだ。その言葉にならない実態がなんであるのかつかむために、コルマンインデックスやその他多くのスピリチュアル系の枠組みを参照したのだ。



実は、この予感は毎年強まっている。特に2013年に入ってからは、極めて強くなっている。



予感を言葉にしようとした過去の記事



この予感がどういうものであるのか、あくまでコルマンインデックスを参照しながら書いた過去の記事がある。それは、東日本大震災の約3週間前の2011年2月14日に書いた「あらゆる大きな出来事の共通テーマ、「抑圧されてきたものの噴出と統合」である。



もしその後に起こった東日本大震災を「抑圧されたエネルギーの噴出」と解釈するなら、予感は的中したことになる。



筆者は、ここに書いた予感が日増しに強まっている。まだはっきりした言葉にはならないが、集合無意識が大きく動き、何かが出現しつつあるように思う。



もしかしらた重要になるかもしれないので、全文を掲載することにした。以下である。



あらゆる大きな出来事の共通テーマ、「抑圧されてきたものの噴出と統合」

2011年2月14日




抑圧されたものが噴出し、隠されてきたものが暴かれる過程



コルマン博士は、「これまでのサイクルでは人間の左脳と右脳のどちらか一方だけが強化されたが、第9サイクルでは、左脳と右脳が統一した統合的な意識を出現させるためのエネルギーが現れるのだ」という。これは言い換えると、抑圧されてきたものが統合を求めて噴出してくるということを指しているはずだ。



つまり、「これまでのサイクルでは人間の左脳と右脳のどちらか一方だけが強化された」ということは、「左脳的もの」か「右脳的なもの」どちらか一方がいつも抑圧の対象となってきたということだ。



そしてこれから始まる第9サイクルで「左脳と右脳が統一した統合的な意識を出現させるためのエネルギーが現れる」ということは、これまで抑圧の対象となってきたものが噴出し、意識への統合を求めてくるということだろう。



「抑圧されてきたものの噴出と統合」というのが、第9サイクルのテーマだということだ。



このような視点からいま起こっている世界中の変化を見ると、確かにこの共通したテーマに貫かれているように見える。ここでいう「抑圧されたもの」とは、秘密や隠された慣行、過去の歴史的な矛盾やトラウマ、歴史的な事件や出来事の真実、人々の欲望や欲求など、抑圧の対象であったさまざまな内容であるはずだ。



最近、世界では以下のような出来事が起こった。



ウィキリークスによる外交公電のリークと秘密の暴露、朝鮮戦争へと発展しかねなかったヨンピョン島の攻撃、チュニジア、エジプトからその他の中東諸国へと急速に拡散している民衆運動の波、ユーロ崩壊の危機、ドルのさらなる信用失墜などであろう。



もちろんこれらの出来事にはそれぞれ独自の原因が存在している。しかし、これらはすべて事件や事故のような突発的に起こった新しい出来事ではない。これまで長期間に内在していた矛盾が臨界点に達し、何かの出来事をきっかけにして表層に噴出してきた事件である。



21世紀に入ってから多くの歴史的な事件が相次いでいる。こうした事件や出来事のすべてが、内在している矛盾の表層への噴出という図式で捉えられるので、この図式にはたいした意味はないという反論が成り立つかもしれない。



しかし、いま我々が目にしている事件は、9.11同時多発テロやアフガン攻撃、それにアメリカのイラク侵略などとは明らかに異なっている。こうした出来事は突発的な事件性という性格が強い事件である。だれも予想していなかった事件なので、「やっと起こったか」とか「ついに起こったか」というような既知感は存在しない。強い驚きというのが共通した感覚だ。



一方、いま起こっている事件はそうではない。ウィキリークスが暴露する外交公電の内容に人々は「やはりそうだったのか」とうなずき、朝鮮戦争になりかねないヨンピョン島の攻撃には「ついに来たか」という印象をもつ。そして、チュニジアやエジプトの民衆革命は、その国の事情を多少とも知るものなら、「やはり来たか」という思いを抱くことだろう。



こうした既知感が強いのは、起こっている事件や出来事は新しいものではなく、過去からすでに内在している矛盾の噴出だからである。



これは日本で起こっていることでも同様である。内在している矛盾が臨界点に達して表層に噴出する出来事は後がたたない。尖閣諸島の問題発生で明らかとなった日中の密約の存在、勝手なシナリオ作りによる特捜検察の手口の暴露、大相撲の八百長慣行、沖縄返還時の日米の密約の暴露などはこうした問題のほんの一部だ。



崩れ去る自明性と構造的な矛盾



これらの事件は、きちんと機能していると信じていた我々の社会システムが、いかに多くの矛盾や不正の抑圧のもとに成り立っていたのかを一気に白日のもとにさらした。そして、社会システムのいわば裏が明らかとなることで、社会システムに対して我々がもつ「最低の信頼感」という自明性はもろくも崩れ去った。



こうした事件が起こる前、我々は「検察もときには大きな間違いを犯すが、総じて制度としては機能しているはずだ」とか、「大相撲ではときとして八百長をする不逞の輩が出てくるが、制度としの大相撲そのものは国技なので健全なはずだ」というような最低限の信頼は成り立っており、それを当たり前なこととして生きていた。これが我々の常識だった。つまり、どんな大きな事件があっても、それは「悪い奴」がいたからであり、それを取り除きさえすれば、制度は健全なものに戻ると信じていた。



いわばこれは、起こった事件は制度やシステムのバグであり、取り除きさえすればもとの正常な状態に戻るという考えだ。



しかし、実態はバグどころの話ではなかった。特捜検察のシナリオ作りは「筋読み」という、日本の検察の機能を100年以上支えてきたなくてはならない手法であったし、十両の八百長も、このクラスの全力士が給料をもらえるようにしている、いわば何年も続く公然の秘密であった。



ということでは、表面化した事件は、制度にたまたま生じたバグどころか、それなくしては制度そのものが機能しなくなる制度の裏の部分、つまり制度の構造に深く埋め込まれた影であったのだ。



そしていま、この「影の部分」が勢いよく噴出してきたというのが「いま」という時間の特徴なのだ。



これはエジプト革命でもそうだ。ムバラクの長期政権のエジプトは、決して停滞した社会ではなかった。経済成長は年率5%~7%あり、IMF(国際通貨基金)はエジプトを「中国やインドに続く次の新興国」として位置付けていた。



しかし、そうしたムバラクのエジプトは、反対勢力に対する弾圧と抑圧があってはじめて成立することのできた体制であった。弾圧と抑圧は、ムバラク体制に構造的に組み込まれていたのである。



そして、そのような抑圧された内在的な矛盾が臨界点に達し、体制にそのものを崩壊させたのが今回の出来事だ。



抑圧されたものの噴出とその統合



我々は世界各地で抑圧されたものの噴出を見るようになった。コルマンインデックスの第9サイクルに入ると、この噴出はいっそう激しくなるだろう。では、噴出した内容はどうなるのだろうか?それは、システムや体制を破壊する力としてだけ作用するのだろうか?



上にも述べたように、コルマン博士は「第9サイクルでは、左脳と右脳が統一した統合的な意識を出現させるためのエネルギーが現れるのだ」と言っている。



第9サイクル以前は、左脳か右脳の一方が優位に立つため、一方が抑圧されるという関係にあった。第9サイクルではその抑圧が解除され、抑圧されていた一方の脳が全体としての人格に統合されるということだ。



そのように見ると、抑圧された内容の噴出は、やはりシステムや制度に統合されなくてはならないし、その統合を実現するのが第9サイクルのテーマだということだ。



統合するために変化し変容するシステム



だがその統合は簡単には進まない。抑圧されたものの統合が実現するためには、システムや体制、また制度が大きく変容し、統合が達成できる構造へと進化しなければならないのだ。この新しい構造をもった体制や制度こそ、おそらく「左脳と右脳が統一した統合的な意識」に相当するものだろう。



個人でも進む同様の過程



また、抑圧されたものの噴出と、その統合による体制や制度の変容というプロセスは、社会の事件や出来事に限定されるわけではない。個々の人間の内面でも起こっていることだ。



これも以前の記事に書いたが、自我や意識やこれまで無意識へと抑圧してきたトラウマ、怒り、欲望、あきらめ切れない思いなどさまざまなものが噴出し、これを統合するために、意識の変容が迫られる過程でもある。



もちろん、抑圧された噴出物は、トラウマのような否定的な内容だけとは限らない。思考の合理性のもとで抑圧されていた直観力やインスピレーション、そして夢やイメージなども意識の表面に勢いよく現れてくるはずだ。



そして、そうしたものすべてを包含する過程で出現する新しい意識のあり方が、おそらく第9サイクルに出現が予定されている意識なのだろう。



同じ変化は自然環境でも起こる



そしてなによりも、我々は同じテーマにもとづく変化が自然環境で起こっていることを目撃している。それは、巨大地震、洪水、干ばつ、氷床の溶解などの年々巨大化する自然災害だ。



こうした自然災害も、地殻の歪みが臨界点に達してエネルギーが放出されるように、出現が抑圧されていた矛盾の蓄積が臨界点に達して、表層に噴出したものとして見ることができる。



抑圧されていたものの噴出が終わった過程で出現するのは、これまでとは違った地球環境であろう。



社会、個人、自然が共時的に進む過程



このように、抑圧のされたものの噴出とその統合による変容という過程は、社会や個人、そして自然環境まをも結ぶ共通した糸である。少なくともいま、我々が目撃している変化は、この共通のテーマのもとで、社会と個人、そして自然環境が相互にシンクロしながら進んでいるように見える。



それはあたかも、社会も個人も自然も、それぞれを横糸や縦糸として織り込まれて行くひとつの壮大な織物のようだ。我々はまさにこの共通テーマの織物に組み込まれているのだといってもよい。



では我々はどうすべきなのか?



個人が経験する抑圧されていたものの噴出という現象は、善か悪かという価値判断では捉えられない。それは、これまでのプライドや自我に対する執着が突然と消失し、体験したことのないインスピレーションや直感が湯水のように湧いているくる過程かもしれないし、反対に、過去のトラウマが解決を迫って頭をもたげてくる過程でもあるだろう。



大抵は、この両者が同時平行に進む過程となるはずだ。ユング派の深層心理学に「個性化」という概念がある。「個性化」とは、これまで人格から排除されていたさまざまな感情や性格を人格へと統合し、ひとつとないユニークな個人となる過程のことをいう。「個性化」へと向かう力は強烈で、人生の過程で誰しも経験するという。



ユング派のこのような言葉を借りるなら、コルマンインデックスの第9サイクルとは、個性化の過程が限界点まで強化される時期なのかもしれない。



内面のそのような変化に直面して我々ひとりひとりはどうするべきなのだろうか?答えは比較的に単純である。変化を受け入れ、変化させる流れが我々をどこに連れて行くのか旅を楽しむことだ。



同時に、我々のなかからは変化を押し止どめ、これまでの自己に止まり、溢れでてくるインスピレーションやトラウマを再度抑圧する方向を選ぶ人々もでてくるだろう。



しかし、我々ひとりひとりが時間を共有した巨大な織物に組み込まれている以上、変化を押し止どめることは土台不可能なのだ。



変化の彼岸に待っているのは、少し変容した意識と感情をもった新しい自己の姿であろう。そしてそうした新しい自己には、それに適合した社会環境や、そして自然環境さえも存在しているはずだ。そうした新しい自己は、その理想的な社会環境の構築へと向かって、もっとも自然な形で歩み出すはずだ。



個々の人間を結集させたこうした歩みのなかからは、おそらく新しい意識に適合した社会システムが構築されてくるはずだ。



以上である。

 



xmlns:trackback="http://madskills.com/public/xml/rss/module/trackback/"
xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">
rdf:about="http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-267.html"
trackback:ping="="http://ytaka2011.blog105.fc2.com/tb.php/267-eaacb3df"
dc:title="2013年はどのような時期なのか?"
dc:identifier="http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-267.html"
dc:subject="社会分析"
dc:description="3月2日先月は2回しか更新ができなかった。今月は4回は更新したいと思う。新刊本のご紹介また本が出ます。すごく面白い本だと思います。よろしかったらどうぞ!日本、残された方向と選択~緊急分析!! 近未来の予測・予言を大解明! 高松の講演会以下の日程で高松の講演会を行います。お近くの方はぜひどうぞ!今回の講演会は面白くなりそうです!日時  平成25年3月15日(金)18:30受付 19:00~公演開始場所  ..."
dc:creator="ヤス"
dc:date="2013-03-02T21:48:00+09:00" />


コメント



「2013年6月1日」の光景への私見


今までの“経験則”からすると大外れかと…

それほどであるならずっと以前にキャッチしても

何ら不自然では無い(ESP的に)事から空振りと

思われます。

それほどの事変の場合「どんなキャッチ」のされ方

になるのか想像しかねますが、私的な「前例」から

言うとセンサ(ESP的な)部分にまるで反応が無い…

事の大きさからいくと卒倒とかまで起きそうですし、

それも数年どころではなくそれ以前に何らかの形で

“予知”されている筈ですがそれも心当たりが無い。

2013年6月と言えばもうあと3ヶ月も無いですしね、

もし「リモートビューイングが的中」でもするのなら

こんなところでこの時期にこんな悠長な事なんか

到底言っていられない状況の筈ですよね、ハイ…




 


近い日時でいうと

2013.6.6の方が怪しいですね。

年数の和が6で666が見事に具現化する日です。

この日を目標にいろんな動きがある様で、アメリカの歳出削減決定が、そののろしの様です。

2013.3.4が怪しいというビジョンを見たという書き込みが、某掲示板に有りましたが、この3月以降、雲行きがかなり怪しいですね。

ノストラダムスの第1章80番

第6の天の明るき輝きにより

ブルゴーニュにて激しく雷鳴が轟かん

それから醜悪極まる獣より怪物が生まれん

3月、4月、5月、6月に、大いなる引き裂きと切り取りあらん

とあるので、サタン(獣)はその様に動き始めるでしょう。


 


ヤスの備忘録2.0 歴史と予知、哲学のあいだ


http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-267.html


by toranokodomo | 2013-03-16 11:17 | 指定なし  

<< プーチンの言う、引き分けの真意... 「暇つぶし・世界の疑惑」 >>