名作 「恋草からげし八百屋物語」

 


雪の夜の情け宿。油断のならぬ世の中に、


殊更、見せまじきものは、


道中の肌付け金、酒の酔いに脇差、娘の際に捨て坊主。


(恋草からげし八百屋物語より)


 


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恋に泣き輪の井戸替、身は限りあり、恋は尽きせず。


無常はわが手細工の棺桶に覚え、


世を渡る業とて、錐鋸(きりのこぎり)のせわしく。


 


よもやこのこと、人に知られることあらじ。


この上は、実身を捨て、命をかぎりに名を立て、


茂左衛門と市での旅路の道連れ。。。


(情けを入れし樽屋物語より)


 


自分のからだはひとつ。


恋路は尽きることがない。四十には四十の恋がある。


 


お七のような子と、ふと恋に落ちたとしたならば、


いったいどうして恋路へ落ちることを止められようか。


 


世知辛いこの頃です。それゆえに、落ちれば深い恋の道。


もうすぐ春です。恋せよ乙女、恋せよ男子たち。


 


とらのこどもは、こころより応援しています!!!


世の中を変えるのは、燃えるよな情念あればこそですもん。


 


 


(解説)http://sakubun.blog.ocn.ne.jp/blog/cat11732681/


 八百屋お七といえば、好色な女の代名詞のようにいわれているが、好色でも何でもない。一途に恋人のことを思った純粋すぎる娘であった。「恋草からげし八百屋物語」は哀しくせつない物語である。西鶴は簡潔にお七と吉三郎の出会いから悲惨な最期までを描いている。その筆には二人に対する深い同情の気持ちが滲んでいる。私もお七が可哀想で、吉祥寺に行ったとき、思わず比翼塚の前で手を合わせたものである。


 


 お七は本郷にある八百屋の娘である。年は16歳で美人であった。あるとき、近所で火事があり、お七の家族は吉祥寺に避難した。そこで何日間か避難生活をした。吉祥寺には吉三郎という寺小姓がいた。吉三郎は武家の生まれであった。吉三郎は男前で、お七は吉三郎に恋するようになり、二人は結ばれた。いつまでもお七は吉祥寺にいるわけにはいかなかった。お七は八百屋の家に戻り、吉三郎とは会えなくなった。




 吉三郎もお七もお互いに相手のことを片時も忘れずに日を過ごした。吉三郎は田舎の野菜売りの百姓に化けて、お七の家に行き、そこで短い間だけ二人は一緒に過ごした。それからはまた会うことができなかった。思い詰めたお七は火事になれば再び吉祥寺で吉三郎に会えると思い、お七は放火をしたのである。少しばかり煙が立ちのぼったため、人々が騒ぎたて、その場にお七の姿を発見した。そこで、尋ねたところ、お七は包みかくさず白状したので、お七は放火の罪で捕まった。




 江戸時代の法律では、放火は重罪であった。市中引き回しの上、獄門であった。お七は神田・四谷・芝・浅草・日本橋を引き回された。それを見ていた群集はお七の命を惜しんだ。お七は鈴の森でめずらしく、火あぶりの刑に処された。お七は取り乱すこともなく、あの世に旅立ったのである。吉三郎はお七の死を知って、死のうとしたが、回りがそれを許さなかった。吉三郎は出家して、生涯お七の霊を弔った。


 


 西鶴はよほどお七のことが哀れだと思ったらしく、物語の最後を、<無常である。夢である。現(うつつ)である。>と結んでいる。放火したからといって、火あぶりの刑にするとは何とむごたらしい。火事はぱっと明るくなるが、やがては消えていく。お七の人生は火事のように、熱く燃えて、そして消えてなくなっていったのである。「恋草からげし八百屋物語」は日本人の心を打つ、最高の悲恋物語である。


 


 


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by toranokodomo | 2013-03-04 14:59 | 指定なし  

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