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お正月Q&A 「お賽銭」

Q どうして、「賽の河原」と「お賽銭」と「賽の目」は、同じ「賽」なのですか?

 


A ようするに「賽」とは何か、という質問です。

  漢字の成り立ちでいうと、「賽」は、「要塞」の「塞」の字と「貝」を組み合わしたものです。


 


 「塞の神」といえば「道祖神」のことであるように、中国では「塞」は道路や境界の要所に土神を祀って守護神とすること、転じてそういった「守り」のことです。これが日本神話になると、伊弉諾尊イザナギノミコトが伊弉冉尊イザナミノミコトを黄泉ヨミの国に訪ね、逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女ヨモツシコメをさえぎり止めるために投げた杖から成り出た神) 邪霊の侵入を防ぐ神=さえぎる神=障の神(さえのかみ)と、いうことになります。

 


 貨財関係の字にはすべて「貝」のが含まれているように、貝はながらく通貨的な「財」でしたが、その起源は象徴交換的な、おおざっぱにいえば「呪器」としての機能であり、神との交換=交感関係が先にあったのです。「お賽銭」は、「神様へ捧げるお金」なのではなく、「お金」の方が逆に「人間の間で取り交わされるお賽銭(のなれのはて)」といった訳です。

 


 あわせて「賽」の原義は、「塞の神」(土神)への「奉りもの」の意で、はなっから「お賽銭」であったといえます。史記の封禅書(あの歴史書は百科事典でもあるので、いくつかの事項別の「書」があって、「封禅」とは、封が泰山の山頂に土壇をつくって天を祭ること、禅が泰山の麓の小丘(梁父山)で地をはらい山川を祀ること、ですから、中国古代に天子が行なった祭祀のことで、「封禅書」はそれについて簡単に時代順にまとめたもの)には、「冬、賽して祷祠す」とあり、12月に鬼神をもとめて祭祀をおこなったことが記載されています。これで「賽社」(農事が終わってのち、酒食をそなえて田の神に感謝する祭)、「賽会」(多くの人が集まって、儀仗・雑戯などを整えて、神を迎え祭ること)、「賽神」(神にささげるお礼祭り、報神)、「お賽銭」などの意が推察されます。神仏に銭を参拝してあげる風習は、日本ではこの風習は16世紀半ばごろからのものと考えられ,鶴岡八幡宮に賽銭箱が置かれたのは天文年間だといいます(それ以前は、打撒(ウチマキ)(米を紙に包んであげる)というのがありました)。供物としての意味と個人の罪穢(ザイエ)を祓(ハラ)い清める意味とをもち、銭がけがれを媒介してもっていくのだと解されます。

 


 さて、賽子(さいころ)は、神との関わり合い、神占の道具であったから、当然偶然に支配されるために、あのような正確な立方体の形でした(天地四方をかたどり,1が天,6が地,5が東,2が西,4が南,3が北を表わし,対応する両面の数の和が7になる。)。やがて勝負事につかわれるようになりましたが、本来は神に関わり、神に問い、神に捧げ奉る祭祀のものでした。転じて勝負事、たとえば「賽馬」「サイバラ」などが、ここから来てると知れます。

 


 いちばん難しいのが、「賽の河原」です。某漢和辞典によると、法華経 方便品が出典とあるのだけれど、見つからない(じつは、仏典には出典はないとのことです)。いったい何で「賽」なのか?

 話はよく知られているとおり、子どもが死後行き,苦を受けると信じられた,冥土の三途(サンズ)の川のほとりの河原(賽の河原)。子どもは石を積み塔を作ろうとするが、大鬼がきてこれをこわし、地蔵菩薩が子どもを救う、というもの。日本版・子供版の「シジフォスの岩」です(シジフォスはギリシャ神話中の人物で,ゼウスの怒りにふれ,死後,地獄で大石を山上に押し上げる刑に処せられたが,その大石はいつもあと一息のところでころげ落ちたため,また初めからやり直さねばならなかったという)。どうもこの地蔵菩薩が登場するところがポイントで、「賽の河原」信仰は、衆生の身代わりになって地獄での苦しみを救い、また子供の姿で現れると考えられた地蔵菩薩(特に辻々に建てられた地蔵様)と、在来の道祖神信仰(前述)が習合したものだと考えられます。つまり、「賽の河原」の「賽」は、助けにやってくる地蔵=賽の神(道祖神)から来ているのです。


 


 「賽日」といえば「やぶいり」のことで、地獄の釜が開く日のことですが(だから地獄の休日)、これだと「賽」が「地獄」を意味するような感じですが(「賽の河原」もそう)、これは逆に「賽の河原」信仰の後にできた考えのようです。


 


by toranokodomo | 2014-01-03 19:08 | 宗教関係  

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